複数の顔を持つ深見東州氏とはどのような人物か?〜深見東州 (半田晴久) 詳細 Profile

ここを見ている人は、深見東州氏のイベントや広告を見て、深見東州氏とは何者なのか? 多くの活動をしている目的は何なのか? なぜ、世界の著名な人物との交流があるのか?そして、宗教団体ワールドメイトの教祖をしているが、何か怪しい団体ではないのか?などなどの疑問を持って見にこられている方もいらっしゃると思います。

その疑問を一つ一つ解いていくには、簡単な文章ではとても説明しきれません。かなり詳しく書いたとしても、なかなか理解してもらえないかもしれませんが、なんらかの参考になればと思い書いた記事がいくつかあります。

関心がある方は、ぜひ以下の記事を読んでみてください。それよりも、ざっと深見東州氏の全貌を知りたいという方は、飛ばして次の様々なプロフィールから読んでみてください。

深見東州 (半田晴久) 氏の様々なプロフィール

まず、深見東州 (半田晴久) 先生の様々な分野におけるプロフィールを、関連団体、役職などを混じえ、書籍やホームページなどからまとめたものを紹介します。最新ではないものもあるかも知れませんが、ご了承ください。

同志社大学入学から就職で上京するまで

同志社大ではESSに所属し、英語でディベ―トを学び、現在ではネイティブレベルと言われています。現在の、深見東州先生のジョークを自在に挟んだ英語のスピーチ、討論、日常会話などを見ると、現在のインターナショナルな活躍において、語学力が欠かせない重要な要素であることが理解できます。

実は大学では日本文化を勉強したかったそうです。ところが父親の強い命令と、叔父が神戸大学のESSで活躍していたこともあり、2人から無理やりにESSに入部されられたそうです。深見東州先生はそれを運命と思い、ESSの活動に徹していったそうですが、それが学内でも評判になり、3年時には部員400人の委員長(プレジデント)となります。そして組織の改革を成功させたそのエネルギッシュな活動ぶりは、未だに部内の語り草になっているそうです。

同志社大学がある京都は外国人観光客が多く、外国人に対し、英語で日本文化を論理的、具体的に説明する力も養なったそうです。それらが結果として、英語によるディベート、ディスカッション、スピーチを大学生の時期にマスターすることにつながります。さらに日本文化を外国人に説明するにはもっと深い勉強が必要と感じ、書や能や茶道を学び始めます。「その京都での大学生活の4年間が、現在の活動のベースになっている」、と言うことです。

それ以外にもイタリア語、フランス語、中国語、ロシア語など、6、7カ国語で歌を歌えるほど、現在では複数の語学にも造詣があります。

大学卒業後はダイワハウスに入社し上京します。そこで初年度からトップセールスマンとなります。しかも仕事と並行して、古典、古書、古文献などの読書や研鑽を重ねたそうです。それでも営業の受注件数は常にトップで、その奇想天外な度胸のある営業方法によって、次々と大手顧客を開拓していきました。

さらに業務の傍らに、銀座の道院紅卍字会に通い、根本宏氏のもとで研鑽を積まれていきます。根本宏氏は、国士舘大学教授に招聘されますがそれを固辞し、大道の泰斗への道を歩み続けた道院紅卍字会随一の碩学だった方です。そこで深見東州先生は、半年ほどで、根本宏氏より任天の導師になる人だと言われています。

時計の商社、予備校のみすず学苑を起業し実業家としても成功する

ダイワハウスは約1年ほどで退職し、26歳の頃には起業します。以来、あらゆる業界に精通する修行のため、多くの業界を経験します。結果、現在では国内外に十数社の会社を持つ経営者になっています。なかでも時計業界、予備校業界への参入時期は、不況の中であり、斜陽産業といわれていたにもかかわらず、それも修行のためにと言うことで、苦労した末に成功していきます。また、予備校を始められたのは、「迷える子羊を救え」という天啓を受けたからと言われています。

並大抵の苦労ではなかったと思いますが、研究に研究を重ねる粘りと、度胸と根性で身につけた経営手腕によって、初期の一時期をのぞけば、それ以降は、すべての会社が黒字経営になっていきます。

菱研という会社では、その経営者としての実力を生かした中小企業コンサルタントをしています。また、経営に関する著作も、銀行系シンクタンクから高い評価を受けたものもあり、経営、経済に精通しているのは間違いないと言えるでしょう。

その菱研ではビジネスセミナーも開催し、過去、キッシンジャー元米国国務長官やP.F.ドラッカー博士、アルビン・トフラー、サッチャー元首相、ゴルバチョフ書記長、ダニエルベル、レスター・ブラウン、ハンチントン教授、フランシス・フクヤマ、など、そうそうたるゲストも招き、互いに交流を深めました。それが1990年代のことです。

予備校経営においては少人数予備校業界の雄となり、その経験を生かした教育者として、高い見識とユニークな指導で実績を上げます。その受験教育について、コラムが産経新聞で連載され、著作としても販売されています。

それはそうと、ワールドメイトの教祖として圧倒的な宗教的、神さまごとの実力をお持ちの深見東州先生が、ビジネスにおいても、ここまで実践し成功する必要があるのかと言う疑問も湧いてきます。

それは、宗教だけでは複雑な経済活動に生きる経営者の具体的な悩み、サラリーマンの仕事の悩みは解決できないということがあります。経営者としてマネジメント力、営業力、財務、労務管理など、経営に必要な実力を身につけている方が、現代の、経済や仕事の悩みを持つ人々に対して、より具体的な指導や、救済が可能になるかと思います。深見東州先生のワールドメイトにおける悩み相談が、宗教的な癒しだけで終わらず、具体的で現実的な改善につながるアドバイスになっていることでも、そのことが理解できます。

もっと大きな次元で言うならば、深見東州先生にとって、宗教家というのはその一面にしか過ぎません。それ以上に芸術活動を行い、福祉活動や、スポーツ支援、人権問題の取り組みなど、様々な活動があります。最終的に目標としているのは、「日本を中心とした世界平和の実現」と言われていました。

宗教だけでは世界を救えないし、世の中を変えることはできないと言われていますので、宗教という枠にとらわれず、実業家としての実力も、世界平和の実現に必要な要素になると私は信じています。

深見東州先生は、芸術活動や、スポーツの持つ力で、社会に多くの貢献をされてきました。それを行うにも経済的な基盤が必要です。また、経済の時代と言われる現代においては、経済に強く、実際に社会でビジネスに成功している人が、より広く人脈を築き、世界に影響力を発揮しています。現代においてビジネスで成功することの意義は、経済的な基盤だけにとどまらず、もっと大きな意味があると私は感じています。

30代中頃からはあらゆる分野にチャレンジし、万能性を発揮し始める

著作活動は35歳頃から始まり、宗教関係以外にも、ビジネス、福祉、料理、ギャグ集、俳句集、短編小説、詩集、絵本、アニメ原作、博士号論文まで含めると、著作は280冊にのぼります。(平成27年末現在)

170万部を越える『強運』など、ベストセラーも数多く、どれもオリジナル性が非常に高くて、かつハイレベルな内容にもかかわらず、わかりやすいのも特徴だと思います。

舞台芸術に関しては40歳から声楽を始め、その後バレエ、オペラ、京劇などの、様々な舞台芸術へと広がっていきます。特にオペラの舞台は、主役とプロデュースを兼ね、毎年公演を行い、非常に高い評価を受けてきました。声楽のバリトンとして、日本では屈指の実力でしょう。中国でも公演を行い、国立中国歌劇舞劇院一級声楽家にも認定されています。

日本伝統の舞台芸術である能楽は、学生の頃から始め、その後40代でさらに磨きをかけ、一流の能楽師として、宝生流家元らとともに国連本部前や、エジプトのスフィンクス、アンコールワット、他国内のあらゆる場所で、年に何度も共演してきました。

京劇は、40代後半からですが、中国で開催されたアマチュアの国際京劇コンクールで、トップに当たる金龍賞を受賞しています。また、北京市立北京京劇院二級京劇俳優にも認定されました。

音楽関係では、オペラ活動以外にも、J-POP、アメリカンポップス、ラテン、シャンソン、アニメ、演歌、童謡まで幅広く歌える歌手として、35歳から今日(平成27年末)までの間に、多くのCD(111枚)、DVD (35本)が発売されました。

作詞家、作曲家としての才能も素晴らしく、これまでに約400曲以上は作曲しています。器楽曲から、管弦楽曲、ピアノ曲、演歌、また、シンガーソングライターとして幾多の名曲を作曲されてきました。どれも粒ぞろいの作品なのに、私は驚いています。

また、歌手やオーケストラの指揮者として、40代から、カーネギーホール、ロイヤルアルバートホール、日本武道館など、国内外で多くの公演を行われてきました。多くはチャリティコンサートでもあります。また、楽器も、ピアノやバイオリン、和太鼓、能管などを演奏されます。

書においては高校生から始めますが、35歳からは本格的に学ばれ、大英図書館に現代書家の名品として作品の一つが収蔵されるほどになります。また、2014年には大英博物館から招聘され、書のパフォーマンスを行い、好評を博しました。これまでに書画集、絵画集が10冊ほど刊行されています。

その絵画も、35歳から学び始めて、日本画、水墨画、油絵、水彩、アクリルなど多彩であり、一流の優れた美術書を刊行する「美術書の求龍堂」の当時の編集部長から、巨匠の3つの特徴をそなえていると高く評価されていました。中国では、国立中国芸術研究員より外国人初の一級美術師の認定を受けています。

他にも、華道、茶道の師範の免状を持ち、ファッションデザイナーとしては、2001年に初のファッションショーを開催しデビューします。その時期に社団法人日本デザイン文化協会主催の「NDKファッションデザインコンテスト」で、かぐや姫をモチーフにした作品が、5千点中2位に選ばれ、もう一つの七夕をモチーフにした作品も入選しています。

劇団、ラジオのパーソナリティ、ギャグの世界でも異色の世界を展開

ラジオのパーソナリティ歴は長く、40歳ごろから始まり、最長の番組は22年間続きました。本来ラジオは放送コードが厳しく、宗教家は特定宗派の布教につながると言うことでレギュラー出演ができないと言われています。深見東州先生の場合は多彩な文化人として放送業界で扱われているのか異例だっと言えるでしょう。

以前に、全く無実のセクハラ、脱税、霊感商法疑惑がマスコミで報道されたときでも、ラジオ局の信頼が厚いのか番組は続きました。出鱈目な報道というのが、ラジオ局の人にはわかっていたのでしょう。最近では「レオナルドTOSYUの遊びがナイト」という番組が3年ほど続いた後、「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」が2015年10月から2018年まで3年間放送されました。

それから忘れてならないのは、ギャク作品集とパフォーマンスです。駄洒落やジョークも天才的な方ですが、芸人でも、あのギャグの連発を真似できる人はなかなかいない気がします。講演会を過去一万回以上されていますが、ためになる内容であると同時に、毎回笑いが絶えないと評判です。ユーモアがあり、魅力的で人を引きつける話法の達人と言えるでしょう。

そのギャグをふんだんに取り入れた、「明るすぎる劇団・東州」という劇団を、2006年に立ち上げました。言葉遊びを効果的に挿入した楽しい作品が多いです。短編小説を書かれていて、脚本家としても、また演出家としての細かな演劇指導も素晴らしいと思います。独学だと思いますが、観察力と研究力は半端ではありません。この劇団をかわぎりに、将来は映画、ミュージカル、アニメ制作などへ広がっていくのが期待されます。

福祉活動家として、人権活動家として

福祉活動家としては、ワールドメイトを始め、いくつかの公益法人などを通じて、カンボジアへの支援、中国奥地への支援、アルバニアへの支援など、海外の最貧地域と言われるところで、多様な福祉活動を20年以上前から継続されています。さらに支援の輪は年々広がっています。

主なもので、カンボジアの24時間無料救急病院の設立と支援、ワールドメイト未来の光孤児院の支援、クメールルージュ犠牲者の救済、アジアなどで130校を超える小学校の建設、貧しい子供たちへの教育援助、その他にも数多くの支援活動があります。細かく紹介すると、膨大になるので簡単な紹介にとどめますが、その対称となる人々の将来と現在を細やかに考えた上での支援なので無駄がなく、本当に必要な人に必要なケアをされています。また、その国の将来にとっても良い影響を及ぼすものが多く、その国の政府から高い評価を得ているのも頷けます。

また、盲人福祉として、30年間ブラインドゴルフの支援と発展に寄与されてきました。ブラインドゴルフを日本に紹介し、日本ブラインドゴルフ振興協会を設立し、ブラインドゴルフの普及に貢献されてきました。多くのブラインドゴルファーが誕生し、盲人の方たちが生き甲斐を見つける様子は、当事者の方たちはもちろん、それを知った健常者や世界中のプロゴルファーの人たちにも、大きな感動と影響を与えています。

また、世界各国のブラインドゴルフ協会と連携し、世界ブラインドゴルフ協会設立を提案して創設し、その総裁にも選ばれました。現在に至るまで、ブラインドゴルフ推進に世界でとり組んでいます。このような世界レベルでの障害者スポーツ組織は過去に例がなく、非常に画期的なことだといわれていました。現在では、盲人ゴルフを含む、障害者ゴルフへと、その支援が広がっています。

ゴルフとスポーツの支援活動

2006年からはシニアゴルフの支援にもとり組まれます。ゴルフの支援については、これから先の高齢化社会を迎える日本人にとって、健康増進や成人病の予防、ストレスの解消など、将来的に様々な恩恵をもたらす結果につながるものと期待しています。

2000年代の前半、日本のシニアゴルフは、特に女子にスポンサーがつかず、厳しい状況にありました。そこを救われたのが深見東州先生でした。その参入に影響を受け、いくつかのスポンサーとなる企業が現れました。現在は男子シニアを支援されていますが、試合数は男女ともに大きく増えています。

生涯にわたってゴルフができる環境が整うことにより、プロを目指す人が増え、優秀な選手が出やすくなるでしょう。ゴルフ人口も増え、もっと庶民レベルに普及すれば、贅沢なスポーツというイメージからも脱却し、手軽に楽しめる状況に変わっていくかもしれません。ただゴルフ人口が増えゴルフが普及するためには、シニアゴルフ界の活性化と平行して、多くのインストラクターの養成が欠かせないでしょう。その分野でも、同時並行で力を入れてとり組まれています。

欧米と日本のシニアゴルフの連携や、シニアプロとブラインドゴルフの連携にもとり組んでいます。人望が厚いのか、深見東州先生を慕い、ゴルフの殿堂入りスタープレーヤーが多数所属する米国女子シニアゴルフ協会会長への就任要請があり、就任しています。本場アメリカの女子シニアゴルフ界のトップとして、様々な形で貢献されてきました。

盲人福祉関係では、英国王立盲人協会という、英国一といわれる福祉団体の副総裁にも就任されます。この福祉団体の実質オーナーはエリザベス女王で、総裁はその親戚筋の名門貴族で、副総裁はイギリス国教会の大司祭でした。そのような歴史と格式のある団体に、日本人である深見東州先生が就任されたということは驚くべきことだと思います。

学術関係、様々な公益活動

学術関係ではカンボジア大学総長、中国の一流大学の客員教授など、学術資格も多数あります。また、中国No1とNo3の大学院で論文を書き、口頭試問にもパスして、現在までに二つの博士号(Ph.D.)を取得しています。

また、財団法人協和協会の理事長を務めています。このシンクタンクは、岸信介元総理大臣によって設立された総務省所管の公益法人です。政界、財界、官界、各界の有識者などが、党派や思想を超えて国家的・国民的課題を検討し、政府へ有意義な提言を続けています。その名門財団の理事長に選ばれています。

アジアでは、ダボス会議のアジア版のような、アジアエコノミックフォーラムを立ち上げ、会議を開き、チェアマンを勤めていました。

世界宗教対話開発協会の理事にも就任。こちらは宗教から世界平和の道を探って世界の宗教間の対話を進めている団体です。また、そのアジア版と言えるアジア宗教対話開発協会を立ち上げ、宗際化活動を続けています。

アメリカではインターナショナル・シントウ・ファウンデーションを立ち上げ、日本の神道と文化を世界に発信しています。この団体は、国連と経済社会理事会との協議資格を取得している国際的組織であり、深見先生はその代表を勤めています。日本の神道がその精神性や自然性で、世界平和に貢献するために、国連認可NGOとして様々な提言をされてきました。

カンボジアでは、フンセン首相の要請を受けて、カンボジア首相顧問に就任しました。外国人が一国の首相の顧問になるというのは、カンボジアでも初めてのことでした。現在は、カンボジア政府顧問(首相と副首相に次ぐ上級大臣)に就任されています。また、カンボジア王国福岡名誉領事にも任命されています。日本の外務省も承認済みです。

ほかにも多数の公職、要職があり、受賞歴、資格なども多数あります。

駆け足で紹介しましたが、まだ、深見東州先生の活動の3分の1程度も紹介できていないので、あとは活動分野別に詳しく書いていきたいと思います。

深見東州 (半田晴久) 氏の分野別プロフィール / 事業関連

深見東州先生について語るとき、宗教家としては35年前に神道系宗教団体ワールドメイトを創設し、2019年には世界の様々な宗教グループの代表が集まりG20首脳に提言を行うG20世界宗教サミットを共同主催するなど、神道系の宗教者としての宗教活動と同時に、一宗教の活動を超えて世界の様々な宗教を結びつけ、世界平和へとつなげる宗際化運動においても、年々存在感が高まっていると感じています。

ビジネスマンとして、経済活動の背景にあるもの

しかし、それだけではありません。深見東州先生の優れたビジネスマンとしての一面を語らずには、深見東州先生のことを理解することはできないと思っています。

もちろん芸術家として、あるいはフィランスロピストとして、世界的なスポーツの振興や、社会貢献、福祉活動にも取り組まれています。それらの活動の一つ一つを詳しく知れば知るほど、膨大で素晴らしい内容なのに驚くことになりますが、まずは経営者としてのプロフィールや、経済活動の背景にあるものを知ることが欠かせませんので、それを以下の記事で分かる範囲で書いています。

深見東州 (半田晴久) 氏の分野別プロフィール / 公益活動・福祉活動

1980年代から福祉活動に取り組み、それ以後、年を追うごとにアジアを中心に福祉活動を展開してきました。そして複数の、NPO法人、社団法人などの設立に関わり、それらの団体を通じて、世界的に社会福祉やチャリティ活動、文化の向上につながる公益活動を行っています。

その概要について、以下の記事で主な活動をまとめてみました。

深見東州 (半田晴久) 氏の分野別プロフィール / 音楽活動

歌手として、作曲家として

音楽活動の中で、最も多いのは歌手としての活動でしょう。コンサートも定期的にではありませんが、数多く開催し、また出演されてきました。

そして、楽器演奏もバイオリンやピアノ、和太鼓、能管の腕前を披露されることがあります。指揮者としても、オケを率いて何度か舞台に立たれました。そして、忘れてならないのは、作詞作曲家としての才能です。コンポーザーとして、数々の名曲を作曲されています。深見東州先生の、その音楽活動に関するプロフィールをわかる範囲で紹介しています。以下の記事をご覧ください。

深見東州 (半田晴久) 氏の分野別プロフィール / スポーツ振興

深見東州先生のスポーツへの取り組みは、1988年にブラインドゴルフに出会うところから始まります。福祉活動の一環としてブラインドゴルフの普及に取り組みますが、その後ゴルフを通した社会貢献を模索し、一般社団法人国際スポーツ振興協会(ISPS)の設立へとつながります。

深見東州先生は「スポーツの力」を強く信じ、スポーツには、希望を生み出し、人々を動かして社会を変革する力があることに、また、人々を団結させ、世界中の地域社会に一体感をもたらすことに気づかれます。

そして、世界平和の追求においても、非常に強力なツールになることを確信されています。そのような信念によって、ゴルフの振興に取り組むことになります。以下にその経緯と活動について書いています。

スポーツの力を信じ、志を同じくする組織や人物とも協力

ゴルフの振興がメインではありますが、それ以外のスポーツの振興にも取り組んでいます。その過程において、目的を同じくする国際的な機関や、組織や人物とも協力をして取り組みを進めています。

このあとも、各分野別の詳細プロフィールを随時更新します。

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