昨日の続きですが、今年のワールドメイトの北極免因超修法の証で多かったのは、性格的な変化、内面的な変化の証かもしれません。これは他人から見るとわからないかもしれませんが、本人にとってはものすごく驚くようなことです。自分の中の嫌な性格とか、神経質な性質が、だんだん変化し、気にならなくなるわけですからね。
あるいは以前だったら苦手だな、嫌なタイプだなと思って敬遠していたのに、全然平気になったりすることもあります。そうなれば当然交友関係や、人間関係も広がりますし、人生の出会いの幅が広くなりますね。
また、こつこつ努力することができるようになったり、客観的に自分の足りないところに不思議と気が付くようになったり、一見些細なことのようですが、人生が大きく開けていくような変化につながる証もあります。
また、神業の方面でいえば、ワールドメイトの神業に反対していた家族が反対しなくなったり、子供や主人が信仰に目覚めたりという証も非常に多かったようですね。
私は、3、4年前に、すごくお祈りができるようになったという証がありました。お祈りというのは、深見東州先生のように神人合一するためには、最初の基本であって、かつそこしか神様との接点が無いわけですからとても大事です。しかし、わかっていながら、なかなかお祈りが深く長く強くできないです。
お祈りのコツはたくさん聞いているのですけどね。ワールドメイトほど祈りの工夫について、たくさんのヒントやコツを教えてくれるところはありませんから。だからこそあれだけの証が出る、原動力のひとつになっているわけです。
しかし現実は、単調な祈りになってきて、だんだん祈る気も失せてきがちになります。継続することが簡単そうに見えて、これほど難しいものはないと思います。でも時々、まともな祈りができるので、その時は本当に一日のすべてが調子良いです。ただ、今申し上げたように継続しないだけですが・・。
それが北極免因超修法を受けて、自然に祈りのポイントが浮かんでくるようになり、なにか祈りが変わったんです。これも傍からは見えない変化ですが、私自身はすごく変化していくきっかけになりました。後々にそれが具体的な環境の変化、中身の変化を実感できるまでになったからです。
ですから北極免因超修法を申し込んで、誰にでもわかる現実的な証も素晴らしいのですが、そのような人からはわかりにくい変化の証が、実は後々の自分にとって大きな変化をもたらすことになると思います。そのことを私はなんどか体験しました。
些細な証のようでも、必ずその芽を摘まないようにして、証にまず気が付くことが大事です。意識して気が付くようになれば、それがどんどん膨らんでくるからです。やがて、まちがいのないはっきりとした変化を感じることができますから、それまで自分の中で育ててあげたらいいと思います。
必ず、なにかがおきているはずですから・・。
御神徳がいってない人はいないのですから・・・。
些細な部分を信じて育てることができる人は、いついかなる時でも証が出続ける人になると思います。