ワールドメイトで学ぶときは、まず初めにそれまでに知っていたキリスト教や仏教はじめとする、いろいろな教えからくる観念を外すような話をされます。その観念があまりに強すぎると、素直に神様を体験することができないからでしょう。誤解のないように書くと、それは他の宗教の教えを否定するものではありません。それどころか、ワールドメイトでの深見東州先生のお話には、次から次に仏教やキリスト教、儒教、老荘思想の教えが出てきます。それらの教えを引用され、深い解説もされます。けっして排他的な思想ではありません。むしろその逆だと言えます。
しかし、宗教をずっとやってきた人や、やってなくてもいろいろな勉強してきた人には、その人なりの考え方が出来上がり、それがひとつの観念となって、その人の思考に常に影響していると思います。ある思考に囚われるという観念の枷があるために、それ以外のものを素直に受け入れることができず、理屈抜きの本当の神様というものを体験できなくするようです。枷が繊細なものを寄せ付けず、弾き返す感じでしょうか。
深見東州先生のように御神霊とお話ができたり見たりすることはできなくても、本来、神なるものを感じたり、体験したり、お取次することはできると思います。ところが一定以上に観念が強い人は、たとえば神様はこうあるべきだとか、こうでなければおかしいとか、自分なりに思い込んでいるケースが多いようです。そういう人は、せっかくワールドメイトで神様を動かす祈りを習っても、無意識のうちに自分の観念に縛られて、なかなかうまくいかないように思います。
たとえばよくあるのは、自分は何も悪いことをしていないし、これだけ苦しい思いをしているのだから、もし神様が本当にいるのであれば、かわいそうな私をほっておくとは思えない、願いを聞いて助けてくれないのはおかしいと、そんな風に思う人もいるようです。その気持ちもわからなくはないですが、しかしそういう思いでは、なかなか願いも叶わない可能性が大きいと思います。
たとえば執着心が出てしまうと、なかなか思いが叶いにくいという事実があります。強く念ずるのはよいのですが、その念は、自分の理不尽な境遇をおかしいと嘆き、これをなんとかしてくれというやや身勝手なものでしょう。あるいは、神様は弱い立場の人を助ける慈悲の存在だから、自分を助けるのは当然のことだという、すこし思い上がった考えで念じているのかもしれません。
たしかに神様は慈悲深い存在と思いますが、だからといって、なんでも無条件に助けるのではありません。こういう方は、えてして自分の思い通りにいかない場合、神様に不審を抱き、あるいはその宗教の神様はおかしいと思ったり、最悪はその教団は偽物じゃないかと思うようです。自分の考えが微妙にゆがんでいることには、一切気がつきません。それは強い観念を抱いているからで、自分のことが自分でわからないだけでなく、現実を素直にとらえることができません。現実がそのようになるにはなるだけの理由があってそうなるわけですから、ある程度素直にとらえることも必要なのですが、なかなかできないようです。本当はワールドメイトで学ぶと、だいだいの理由もわかってくるはずです。しかしそれを拒否して周りのせい、神様や教団のせいにすり替えてしまうようになると、いよいよ神様も動かれないでしょう。
逆に神様をとてつもなく尊いものだからとへりくだるあまり、神様をはるか遠くにある存在のように崇めている人もいます。そうすると、実際に神様も遠くにいて、神様も残念に思ってあるようです。だから神様にも思いが伝わりにくいです。当然のこと、おかげも出にくくなるでしょう。自分から神様を遠ざけてしまっていることに、観念があるため気がつかないようです。と、偉そうに書いてますが、私も観念が相当強かったと思います。今でもそうかもしれません。ワールドメイトで、神様が目の前にいらっしゃると思って祈るよう言われても、多少戸惑いを隠せませんでした。
深見先生という、実際になんの観念もなく捨て切った方がいることを理解でき、実感できたからこそやれるようになってきたと思います。だんだんと観念が外れていったのだと思います。そういう実際に素晴らしい人が目前にいなかったら、ワールドメイトに入会しても、今のように変わることはなかったでしょう。
たくさん勉強することは大事ですし、そうじゃないと仕事も立派にできません。しかし、いろいろな知識を知るうちに、さまざまに観念もできあがり強固になる人が多いようです。そのなかでも観念が少なくて柔軟な人が世の中で上に立ち、素晴らしい業績を残してる場合が多いと思います。大きな組織のトップになるような人は、とても柔軟に考えることのできる人が多いのではないでしょうか。深見先生も、もちろんその典型のような方で、これほど柔軟な思考ができる方を見たことがありません。また宗教家といっても、まったく暗めの宗教くさい部分がなくて楽しいし面白いし、それでいてなんでもできる非常に多才な方です。
ちまたでは、宗教に入ると洗脳されるから怖いと言う人がいます。私からすると逆の部分があります。ワールドメイトに入会する前の方が、ある意味社会やマスコミに洗脳されていました。自分の勉強した知識にいい意味でも悪い意味でも洗脳されていたと思います。洗脳という言葉が不適切ならば、歪められた、変な観念をたくさん身につけていました。ワールドメイトに入会した後の方が、はるかに、自由な発想ができるようになり、能力も発揮できるようになってきたと思います。それまで、そんな分野はできないと思っていたことでも、平気でやったりしています。考えが明るくなったせいか、運もよくなりました。観念がなくなると能力が伸びることを実感しました。
自分で勉強した知識以外にも、テレビやマスコミの誤った影響を受ける場合もあるとおもいます。ほとんど無意識のうちに刷り込まれる感じではないかと思います。だから自分では、どこが間違いなのかに気が付きません。それなりの人からきちっと話を聞いて、だんだん思考や思い込みの歪みに気がつき、軌道修正していく感じでしょう。もちろん多くの報道は事実で正しいとは思いますが、かといって全部が正しいこともないわけです。
私も考えが間違っていたことに気づかされることが多々あり、ありがたいことだと思っています。時に恥ずかしいこともありますが、それで自分の考え方が少しでもまともになるのですから、そのことをワールドメイトや深見東州先生に感謝しています。