深見東州氏の実業家としての詳細プロフィール

私の個人的な見解ではありますが、世界の宗教グループや宗教家から優れた宗教家として評価されながら、なおかつ、優れたビジネスマンとして、経営者として成功している人は、これまでなかなか現れなかったのではないかと思っています。その両方に優れた才覚を発揮することは、とても困難なことなのかもしれません。

宗教への理解が浅い人の中には、宗教もビジネスみたいなものだろうと嘯く人もいますが、そのような人からすると、宗教とビジネスを両方やっているのを見ても、別に不思議とは思わないかもしれません。ただ、怪しいとは思うでしょうけど。

私は昔から宗教をビジネスだと思ったことは一度もありませんが、もしそのように感じる人がいるとするならば、それは本当の宗教、宗教家というものを知らないからだと思います。宗教団体の組織運営ということに限るならば、施設の維持・管理の点で、企業と同じような原理や法則で動くこともあるでしょう。そうしなければ、組織を安定して継続することが難しくなるからです。ただ、それを持ってして、宗教をビジネスと同じというには、無理があります。

宗教をやったことがある人、信仰を持っている人なら、少し理解してもらえるかと思いますが、理屈抜きにビジネスとは全く違う感性の世界があると思います。感性だけでは無く、心の持ちようや行いにも大きな違いがあります。それだけに、全く違う能力が必要とされるビジネスと宗教を同時に行うのは、思っているほど簡単なことでは無いと思います。

それらのことなども含め、まずは深見東州先生のビジネスマンとしてのプロフィールの前に、宗教とビジネスの両方をなぜ行うのか、また、なぜ両方とも優れたレベルで行えるのか、そのあたりのことから書いていこうと思います。

信仰を持つ経営者にみる、武田信玄型と上杉謙信型

先ほど深見東州先生は、世界の他宗教のグループや宗教家たちから、宗教家として高い評価を受け、かつ、優れたビジネスマンとしても成功していると書きましたが、優れた経営者でありながら、信仰に篤い経営者や、あるいは宗教者としての一面も持つ経営者でしたら、日本では時々見かけます。それは、戦国時代で言うならば、非常に優れた武将である武田信玄が、僧侶としての一面も持っていたと言うのに似ています。

一方で戦国武将として、武田信玄のライバルであった上杉謙信は、本来は僧侶として出家し、比叡山に行こうとしていたところ、それでは上杉家が滅んでしまうからと家臣に懇願され、連れ戻されます。戦国の世ですから、国を守るためには必ず敵を殺すことになる武将の道を選ぶことは、仏法の道を志した上杉謙信にとって、耐えられないことだったでしょう。しかし、上杉家と民を守るためには、現実に戦を避けることはできません。

そこで上杉謙信は、生涯妻帯しないと発願し、国を守る、義のためにしか戦わないと誓い、その代わり戦に勝ち民が守られますようにと、神仏に願っていたようです。そのことをして、僧侶でありながら武将もやっていたのが上杉謙信だったと、深見東州氏は言われています。

川中島の戦いで有名な「天と地と」を書いた海音寺潮五郎は、ウィキペディアにも書かれていますが、歴史の真実を伝えることに主眼を置く「武将列伝」で武田信玄を書くため、宿敵の上杉謙信のことも調べていくうちに、謙信の方がよほど純粋で魅力的であることに気がつき、のちに謙信を主人公に据えたこの小説を書くことになったそうです。

深見東州先生によると、上杉謙信には「敵に塩を送る」と言う精神に象徴されるように、領土欲のために戦をするのではなく、あくまで義のためにするものだと言う考えがあり、だからこそ神仏が守り、戦に勝つことができたのでしょうと、言われていました。

実は深見東州先生は、若いころから宗教家としてこれからの時代をどう生きていけば良いのか、常に自問自答していたそうです。親鸞や法然、空海、最澄、そしてお釈迦様やキリスト、孔子や老子がこの自由経済で国際的な時代に生きていたなら、どうなさるのだろうかと、今でも自問自答されるそうです。

そして20代の時、米沢を訪れ、上杉謙信のお墓に参るため上杉神社を参拝した時に天啓を受け、それ以来、上杉謙信のような生き方をしようと、同じ道を歩もうとされてきたそうです。

優れた経営者でありながら、信仰が篤く、宗教家としての一面も持つ人はかなりいると思います。しかし優れた宗教リーダーでありながら、優れた経営者としての一面も持つ人は、なかなかいないのではないかと思います。深見東州先生の経営者としてのあり方は、そのような上杉謙信型であり、武田信玄型ではないということが、まず大きな特徴の一つです。

実は私は、ワールドメイトに入会する前までは、優れた経営者が信仰に篤いことは素晴らしいことでも、宗教家が経営者でもあると聞くと、どこかに抵抗を感じました。しかし今では、それが宗教を知らない浅い考えであったことに気がつきました。

士農工商の江戸時代ならともかく、今ように経済活動が生活のメインと言えるような時代においては、宗教家もビジネスや経済のことを知らずして、人々を教化し救うことはできないのではないかと、思うようになりました。

今は武士の世、戦国時代ではありませんし、ファシズムや軍国主義の時代でもありません。国家間における紛争や戦争は一部ではあるものの、生き残りをかけて互いに殺しあうような時代ではなくなりました。しかし、経済戦線と言われるような企業間でしのぎを削る自由経済の時代になっています。

そこで上杉謙信が仏法の道をもって戦にのぞみ、勝ち続け、国民を救ってきたように、深見東州先生も神人一体の道をもって、自ら企業家として経営に身を置くことにより、お金のありがたみを知り、経済の世に生きて苦しんでいる人たち、経営者の人たちの苦しみが真にわかるのだと思います。

そして、上杉謙信が神仏に誓いを立てたのと引き換えに仏様の法力をいただいたように、深見東州先生も誓いを立て、神様から神通力とひらめきを受け、正しい教えを持って経済戦線や社会で苦しんでいる人たちを救い、また、国も守ろうという気持ちで会社の経営をされているのだと思います。

聖と俗を区別して共存し、両立させている日本の経営者

ここで、一つ注意しておかないといけないのは、上杉謙信型であろうが、武田信玄型であろうが、経営と信仰を両立させている人たちは、皆、信仰(宗教)と経営を区別した上で、共存させていることです。ここも重要なポイントになります。

出光興産の創業者は宗像大社を、西武グループの創業者は箱根神社の熱心な崇敬者として有名です。松下幸之助は、根元の社という神社を作っていますが、辯天宗の宗祖から、これからの時代は電気だとアドバイスされ、その道に進んだそうです。他にも、優れた事業家で、孤独や困難にぶつかった時に、仏教や神社の信仰によって超えてきた人は多いと思います。

見えない世界を扱う宗教と、現実社会そのものを扱う企業経営とは、一見すると矛盾するような取り合わせにも思えます。まだ神道は、生業が栄えることを大事にしていますが、仏教になると、現世のことにはあまり価値をおいていません。脱俗的な宗教であり、本来は出家思想と言えるものです。

にも関わらず、現実そのものを扱う経営者からの信仰が篤いのは、神仏習合などの歴史を経て、神道に基づく日本化された仏教だからだと深見東州先生は言われています。

その始まりは聖徳太子の選んだ三経義疏にあるそうです。聖徳太子が、出家主義の仏教に対し、在家というアンチテーゼになる「維摩教」と、仏教では不浄なものとして扱う女性を尊重する「勝鬘教」と、仏教が価値を認めない現実社会を理想郷にする「法華経」の3つを選んだことにより、神道化が進んだということです。聖徳太子は、このような神道に適合する経典を選ぶことによって、仏教を日本に根付かせたようです。

また、日本古来の神道は皇室祭祀として残し、仏教は民衆の教化のために活用し、儒教は官僚や社会の道徳規範として用いたそうです。そのように神道と仏教と儒教という違う宗教を、区別しながらうまく共存させることで、日本文化や社会を作ったそうです。さらに、政治には、宗教的なドグマを入れなかったそうです。

そのように、日本には区別して共存させるという神道の精神があります。区別して共存させることで、現実の社会を繁栄させようというのが、今日まで日本の伝統になってきたそうです。

ですので、宗教と経営、あるいは宗教家と事業家という、一見正反対で、同時に行えば矛盾をきたしそうなものでも、聖と俗を区別して共存することができ、その結果繁栄し、現実の社会も良くすることができるわけです。もしもこれが区別せずに、宗教と経営を混同してしまえば、どららも立ち行かなくなり、現実に繁栄しなかったことでしょう。

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神道は外国からはアニミズムと思われているようですが、自然の全てに神がいるというわけではありません。神います山や湖や海と、そうではない普通の山や湖や海を区別しています。神山は大切にして守り、そうではない山は開発してきました。それによって、日本は繁栄できたのだと言われています。その区別がなかったら、すべての自然を全く開発することができず、狭い国土で、現実的に繁栄できなかったでしょう。

また逆に、全てを開発してしまえば、神なる山も廃れてしまい、大変なことになります。完全ではないにしても、神います自然と、そうではない普通の自然とを区別し、それぞれを使い分けることで共存させてきたからこそ、日本にとっては良かったのだと思います。

そのように、前述した経営者の方達も、皆、経営と信仰(宗教)を区別しながらも、共存させ、両立させてきました。そこには何の矛盾もありませんし、それによって、現実もより良くすることができたのでしょう。ちなみに海外では、聖である聖職者と、俗人である経済人は、明確に区別だけがされているようで、共存し両立させようという概念は無いようです。敬虔なる神父さんが、バリバリの経営者として厳しい経済戦線も勝ち抜いている、という話は聞きませんからね。

宗教とビジネスを区別しないと、過度に宗教の教えを経営に導入することになって、ライバルに打ち勝つ気力もなくなり、結果会社は潰れて路頭に迷うことになるかもしれません。かといって区別はしても、共存し両立させなければ、手段を選ばす、血も涙も無いようなやり方で自社の繁栄だけを考えるようになるかもしれませんし、それがはたして良いものかは疑問です。

日本の企業は、海外に進出しても、その地域の人たちと共存共栄するようなやり方をするそうです。対して欧米や中国の企業は、根こそぎ利益を持っていこうとし、撤退するときには何も残していかないとも言われます。最近の欧米や日本企業のことは、必ずしもわかりませんが、そんな評判を昔は聞きました。これも、神道の精神が根付く、日本人的な経営のやり方なんだろうと思っています。

話を深見東州先生のことに戻しますが、深見東州先生もワールドメイトを創設し、宗教活動を行う宗教リーダーですが、別に生業を持たれています。現在、多くの会社を経営するビジネスマンであり事業家としても有名になられています。

しかしその経営に宗教活動を持ち込むことはされません。みすず学苑で宗教の話をしたり、勧誘することが全く無いというのはよく知られています。あるとするなら、受験生が勉強ができるようになって希望する大学に入学でき、幸せな人生を送って欲しいという宗教的な情熱を学苑長が持っていて、それが熱心で面倒見の良い指導として現れていることでしょう。

また、時計事業のハンダウォッチワールドでは、国内外に多くの取引先があると思いますが、その関係に宗教的な要素が入り込むことは全く皆無だそうです。当然のことながら、ワールドメイトと、それらの株式会社との間にも、資本関係は無く、株も所有していないそうです。

聖である宗教と、俗であるビジネスをはっきりと区別した上で、上杉謙信のようなやり方で見事に共存させているのが、深見東州先生の宗教とビジネスの関係であり、両方を行う理由でもあり、結果現実を良くすることができる理由でもあると思います。

以上、私の説明では、まだ誤解されやすい面や分かりづらい面もあったかとは思いますが、この自由経済と国際的な時代において宗教家としてあるべき道を、それが困難と誤解の多い道であったとしても、柔軟にたくましく歩まれていると思っています。

そして現代における上杉謙信型の経営者という誰も十分に成し遂げていない領域のことゆえ、神仏の守護も一層篤いのだろうと思います。そこに深見東州先生の未知の可能性を感じてしまうところでもあります。

ビジネスマン、経営者としての深見東州先生の一面を理解するには、前提として、それらのことを知っておいた方が良いと思いましたので、最初に書いておくことにしました。

ビジネスマン、事業家としてのこれまでの歩み

深見東州先生は同志社大学を卒業後上京し、プレハブ住宅メーカー大手の大和ハウス工業に就職して、約1年ほど営業職につきます。

入社してすぐから目にとまり、当時の石橋社長の特命により一案件10億以上の工場や商業施設などを受注・建設する事業部に配属されます。度胸と根性とピュアな気持ちがあるから建築をやらせてみようと、なったそうです。

そこで名物課長のもとで営業の基本を学び、すぐに頭角を現し、次々と新たな営業先を開拓することになります。わずか1年の在職にはなりましたが、新入社員の中では、圧倒的なトップの成績だったそうです。

惜しまれながら1年ほどで退職すると、のちにワールドメイト開祖となられる植松愛子先生と、行動を共にされるようになります。

そして1978年26歳のときに起業し、受験のための学習塾(予備校)を西荻窪に設立します。これが2019年現在、関東圏に10校舎を展開している「みすず学苑」になります。現在は大学受験に特化していますが、ある時期までは高校受験のクラスもあったそうです。

設立当時は、マスプロ教育の大手予備校全盛の頃で、そこに一人一人を丁寧に指導する個別指導を導入し、後に増えていく、少人数制予備校の先駆けとなりました。ユニークな電車広告やテレビ広告が毎年話題になりますが、難関大学への進学率が高いという指導実績を持つことでも評判です。

1979年には、健康器具や食品、文具、時計などを始め、様々な商品を扱う商事部を設立します。時計事業に関しては、のちに流行するファッション時計の分野における先駆的な存在となりますが、1980年からオリジナル時計の製造や輸入をスタートしています。また、国産のSEIKO(セイコー)、CITIZEN(シチズン)、CASIO(カシオ)も取り扱い、製造・卸・直販の会社として成長していきます。

1996年に、新宿高島屋の開業と同時に「時計の恋人」という時計ショップを出店し、こちらの店舗は、2017年に西荻窪の路面店に移転するまで続きました。

2011年にはスイスの高級時計カトレックスの日本総代理店となり、2015年には「Roberto Cavalli by Franck Muller」の総代理店となります。これが転機となり、ローエンド中心の卸・販売から、ミドルエンド、ハイエンド中心の卸・販売へと大きく業態が変化していきます。

2019年現在では「HANDA Watch World」という、国内外の多くの有名ブランドを取り扱う店舗を、国内の主要都市に6店展開しています。また、先の「Roberto Cavalli by Franck Muller」をはじめとする、複数の世界の有名ブランドの輸入総代理店をしています。

その時計事業部と、教育事業部、生活文化事業部の3つを擁するのが「株式会社ミスズ」で、1978年3月に設立され、現在も成長し続けています。

国内においては、1987年5月に、出版業の会社を立ち上げます。深見東州先生自身の著作を始め、国内外の多くの著名な著者による書物を発行し、深見東州先生の美術作品などを取り扱う「TOSHU絵描きの店」も、国内に3店舗展開しています。その「たちばな出版」という会社は斬新な販売キャンペーンや、ユニークな営業マンの存在でも話題になるなど、出版業界では異色の存在感を放っています。

1991年には、経営コンサルタント業務を行う会社も設立します。こちらは現在、「株式会社菱法律経済政治研究所」という、会員数約5000名を擁する中小企業対象のコンサルタント会社として、各種のセミナーなどを開催しています。

また、実践に即した経済や政治、法律を学んで、経営能力を磨くために、国内外の著名な政治家や経済学者、経営者、社会学者などを招いて、シンポジウムを開催してきました。主なゲストとしては、マーガレット・サッチャー元英国首相、ヘンリー・キッシンジャー元米国国務長官、ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト大統領、P.F.ドラッガー博士、サミュエル・ハンチントン教授ら、多彩な面々が来日して講演や対談をしています。

他にも国内においては、1982年設立の旅行会社、株式会社ジャパンペガサスツアー、1992年設立のヘルス&ビューティーに関する商品や医薬品を取り扱う、株式会社武蔵野メディカルを経営しています。

海外においては、37歳の時にオーストラリアで家具屋を買収したのを手始めに、その後は、オーストラリアやイギリスにおいて、ヨットのマリーナ、ホピー牧場、ホテル、旅行会社などを経営しています。また、2017年に株式会社ミスズが、ゴルフに特化したスイスの高級機械式時計メーカー「JAERMANN & STÜBI(ヤーマン&ストゥービ)」を買収し、深見東州先生がオーナー社長となっています。

また、企業ではありませんが、国内外で多くの公益法人も設立し、運営にあたっています。

それらの従業員を合わせると、おそらく600名は超えているものと思われます。また、その1割ほどは欧米人などの海外の従業員になると思われます。

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