今朝から現役ゴルファー最強の1人、スペインのジョン・ラームのリブゴルフへの移籍が、大きなニュースになっていますね。フィル・ミケルソンやダスティン・ジョンソン、キャメロン・スミス、ブルックス・ケプカなど、ここ数年でメジャーチャンピオンに輝いた選手がすでにリブゴルフで活躍中ですが、その中でも今回のジョン・ラームの移籍は、最もインパクトの大きな移籍と言えるかもしれません。
PGA(米国)ツアーもDPワールドツアーも、リブゴルフとの和解を表明し、サウジアラビア政府系ファンドのPIF(パブリック・インベストメント・ファンド)の投資を受け入れ、今後統合に向かうとのことです。ただ、まだ具体的な話は発表されていません。
ジョン・ラームはリブゴルフに移籍した選手への理解は当初から示していましたが、自分自身のリブゴルフへの移籍には否定的でしたが。それゆえに、現役最高のゴルファーでもあるジョン・ラームの今回の移籍は、大きな物議を醸すと同時に、統合の行方に対しても何らかの影響を与えることになるかもしれません。
ゴルフ界に激震 世界ランク3位のジョン・ラームがLIV入りを発表! 430億円で契約か #golf #ゴルフ #ALBAhttps://t.co/eySetlKPSJ
— ALBA (@ALBA_golfnews) December 8, 2023
目次
3人のチャンピオンが誕生する「ISPS HANDA オーストラリアオープン」
そんなリブゴルフに移籍した選手も数名参加し、11月30日から12月日にオーストラリアで「ISPS HANDAオーストラリアオープン」が開催されました。
この大会は、昨年に続き男子の「オーストラリアオープン」と、女子の「オーストラリア女子オープンが同じコースで、同じ時間帯に、同じ賞金額をかけて行われました。新型コロナによりツアーが中断された時期を経て、昨年からこのような形式で開催されるようになりました。
女子オープンもですが、特に男子はゴルフ界のレジェンドたちの多くが優勝者に名を連ねる、歴史と伝統のある大会ですね。
昨年はメルボルンで開催され、今年はシドニー市内のオーストラリアン・ゴルフ・クラブとレイクス・ゴルフ・クラブで開催されました。
ゴルフ・オーストラリア主催で、男子は昨年同様、DPワールドツアー(ヨーロピアンツアー)とISPS HANDA PGAツアー・オブ・オーストラレイジア(オーストラリア男子ツアー)のトーナメントとして開催されました。女子はWPGAツアー・オブ・オーストラレイジアの単独ツアーになります。
そして今年も、「ISPS HANDA オーストラリア・オール・アビリティ選手権」が同時並行で開催されました。これはDPワールドツアーが行う障害者ゴルフツアーの初戦となります。つまりこの大会では、3つのトーナメントが開催され、3人のチャンピオンが誕生します。
余談ですが、今年4月にオーストラリアで開催されたリブゴルフの大会には、非常に多くの観客が詰めかけ、これまでにない盛り上がりを見せたようです。オーストラリアでは、欧米諸国で多く見られるサウジ・アラビアのオイルマネーに対する批判は少ないようで、リブゴルファーであれ関係なく、一流プレーヤーたちを熱狂的に迎えてくれるようです。
オーストラリアPGAチャンピオンシップではミン・ウー・リーがスーパーショットを連発
まず男子の結果ですが、最終日4打差に17人がひしめく大混戦となりました。日本の星野陸也プロと、国際スポーツ振興協会アンバサダーであり、ミンジー・リーの弟のミン・ウー・リーの二人が首位タイからスタートしました。
このトーナメントに先立ち、前週開催された 「フォーティネット・オーストラリアPGAチャンピオンシップでも、この二人のゴルファーが最終日に優勝争いを演じました。この時はミン・ウー・リーが優勝を果たしています。惜しくも、星野プロのDPワールドツアー初優勝はなりませんでした。
それにしても、ミン・ウー・リーは大勢のギャラリーを引き連れ、地元だけに声援も熱狂的だったようですね。星野選手にとってはやりにくかったかもしれません。
そのギャラリーの声援に応えるかのように、ミン・ウー・リーも素晴らしいショットを放っていました。ギャラリーをなん度も沸かせていたようですね。プレーの最終版では、観客の声援に応え、ユニークなパフォーマンスも行っていました。観客も大喜びしている様子が映像で見れます。
「9番(ホール)は信じられなかった。あんなに大きな声を出したのは初めてかもしれない。あれはかなり特別だった。今までで最高のショットのひとつだった。間違いなくターニングポイントだった」と、ミン・ウー・リーが熱く語るスーパーショットは3分過ぎに見られます。(オーストラリアPGAチャンピオンシップ)
男子はリブゴルファーのホアキン・ニーマン、女子はアシュリー・ブハイが連覇
オーストラリアオープンでも、ミン・ウー・リー選手は見せ場を何度か作りますが、最終日のスコアは伸ばせず、中盤でアダム・スコットとルーカス・ハーバートが首位に躍り出ます。ですが、そのあとつまづき、その間隙を縫うかのように、今はリブゴルフに参戦しているホアキン・ニーマンが追い上げて、最後は星野陸也プロとのプレーオフに持ち込みました。
星野プロはプレーオフではいずれもバンカーに捕まるものの、リカバリーでバーディーをとります。しかしホアキン・ニーマンが、2ラウンド目にイーグルを決めて、この混戦に終止符を打ちました。ホアキン・ニーマン選手はチリ出身で、リブゴルフに参戦する前はPGA(米国)ツアーの優勝経験もあり、世界ランキングも15位だったこともある実力者です。
How it finished in Sydney 📊#AusOpenGolf
— DP World Tour (@DPWorldTour) December 3, 2023
星野陸也は欧州ツアーで2週連続の2位 悔しさにじませながらも「次の優勝に向けてワクワクしている」 #golf #ゴルフ #ALBAhttps://t.co/q6L3BMINc9
— ALBA (@ALBA_golfnews) December 4, 2023
Five of the best from @AusOpenGolf 💯#AusOpenGolf | @DP_World pic.twitter.com/4hUeINJv9Q
— DP World Tour (@DPWorldTour) December 4, 2023
ところで、このトーナメントでもミン・ウー・リー選手の人気は凄まじかったようですね。ゴルフ大国オーストラリア男子の新しいスター誕生を予感させますね。
Always time for the fans @Minwoo27Lee 💙#AusOpenGolf pic.twitter.com/iojiv4HWbL
— DP World Tour (@DPWorldTour) December 4, 2023
「オーストラリア女子オープン」は、2010年からISPSが、ネーミングライツ・パートナーとなり、ゴルフ・オーストラリアと長期的なパートナー関係を築いてきました。コロナ前は、LPGA(米国女子)ツアーの開幕戦として、世界から多くの強豪選手が参加しました。ネリー・コルダやコ・ジンヨンもこの大会で優勝したあと、世界ランキング一位に上り詰めます。
古くは樋口久子、ジャン・スティーブンスも優勝しています。その後もアニカ・ソレンスタム、カリー・ウェブ、ローラ・デービース、ヤニ・ツェン、申ジエ、朴仁妃、リディア・コなど、世界のトップ選手が優勝に名を連ねます。
Back-to-back 👏@ash_simon is your 2023 @ISPSHanda #AusOpenGolf Champion 🏆 pic.twitter.com/wAxtHB3oxl
— Australian Open (@AusOpenGolf) December 3, 2023
今年は国際スポーツ振興協会アンバサダーのアシュリー・ブハイが、昨年に続く優勝を果たしました。最終日に、地元オーストラリアのミンジー・リーに追い上げられますが、からくも逃げ切っての連覇です。
アシュリー・ブハイは南アフリカの選手ですが、今年スプリングボクスがラグビーW杯連覇を果たしたことで、南アフリカの国民が一つになるという、スポーツの力を目の当たりにしたそうです。南アフリカにはいろんな問題があることは誰もが知っているが、W杯での勝利は特別なものだったと語っていました。
これは、国際スポーツ振興協会が掲げる "スポーツの力" そのものと言えますね。スポーツには希望を生み出し、人々を動かし社会を変革する力があること。人々を団結させ、地域社会に一体感をもたらす力があり、ひいては、世界の平和にも強力な力になると、半田晴久ISPS会長(深見東州先生)は言われています。
A week to remember for Lachlan Wood 🙌🏆#AusOpenGolf | #feelNSW | #feelnewsydney pic.twitter.com/yd9IWejfwp
— Australian Open (@AusOpenGolf) December 4, 2023
国際スポーツ振興協会(ISPS)は、障がい者がスポーツをする機会を増やすことにも、情熱を持って取り組んでいます。今年も2018年の初開催以来、「オーストラリア・オールアビリティー・チャンピオンシップ」のタイトルスポンサーを務めました。
「オールアビリティー・チャンピオンシップ」の結果は、地元オーストラリアのレイシー・ウッドが、国際スポーツ振興協会アンバサダーのブレンダン・ローラーに競り勝ち優勝しました。
レイシー・ウッド氏は、16歳の時に交通事故に遭遇し、命を落としそうになります。重傷を負い、砕けて短くなった左足に背中から筋肉を移植するなど、これまでに30回以上の手術を行いました。その後、温暖な地域への引っ越しを余儀なくされますが、そこでの取り組みが、今回の結果につながったようです。