ハンダ・ファウンデーション(1) 〜設立の目的〜

2012年に、東南アジアの貧困地域で病院や学校を建設するというビジョンを掲げて設立された、ハンダ・ファウンデーションという慈善団体があります。創設者は深見東州先生で、現在、米国と英国とカンボジアで登録されている国際NGO組織です。

以前、深見東州先生のカンボジアにおける二十数年間に及ぶ福祉活動について、4回にわたり紹介してきました。今回は、その中でも、ハンダ・ファウンデーションの活動にスポットをあて、さらに前回紹介した時から変わってきた内容や、新たに加わった活動などについてなど、数回に分けて書いてみたいと思います。

内容については、ハンダファウンデーションの海外の公式ホームページ、フェイスブック、そして日本での紹介ビデオ、ワールドメイトホームページなどに加え、私が見聞きしてきた内容と感想を混じえてまとめました。

ハンダ・ファウンデーションのエグゼクティブ・ディレクター

深見東州先生はハンダ・ファウンデーションのチェアマンではありますが、ボードメンバー(理事・役員)には入っていません。

中心となって運営にあたっているのは、ケビン・オブライエン氏(ハンダ・ファウンデーションのエグゼクティブ・ディレクター)という方です。この方は、アメリカで20年間ビジネスをやっていましたが、キリスト教の教えに触発され、2009年に家族とともにアジアに移住し、以後、貧困層を救うことに人生を捧げています。

当初は、深見東州先生がカンボジアのプノンペンに設立した24時間無料救急病院(シアヌーク病院)にて、ディレクターをしていました。シアヌーク病院は、カンボジア最大の無料病院として、米国のキリスト教系医療団体ホープと協力して、のべ百数十万人の患者の診療にあたってきました。病院も医師も全く足りなかった1996年の開設から、無料診療の救急病院として、医師や看護師の育成も同時に行ってきました。

シアヌーク病院に行った日本の研修医の記事に、2005年ごろのカンボジアの医療の現場の状況が書かれています。

すべての人を助けることはできない,しかし何もせずに手をこまねいていることも許されない。こうした中での苦渋の決断により,毎日「診療を受けることができる患者」が選別されていく。

https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/old/old_article/n2005dir/n2649dir/n2649_03.htm

今はその頃に比べると、首都プノンペンにある病院も増えてきているそうです。また、ここ数年は政府の通達によって、貧しい人たちに無料で診療する病院が増え、全体の診療の2割程度は無料診療になってきたそうです。

そのような環境の変化に伴い、新たに辺境の恵まれない地域への支援に軸足を移すため、設立当初からシアヌーク病院を共同運営をしてきたホープ・ワールドワイドに、2015年に運営を委譲しました。今後のシアヌーク病院は、ホープの運営により、有料の診療も増え、求められる高度な医療や、専門化した病院へと変わっていくようです。

カンボジアは世界で最も貧しい国のひとつです。国民は今なお1970年代にポルポト政権が行った大虐殺の後遺症を肉体的にも精神的にも多分に負ったままです。その大虐殺のさなか、全国にそれまで800件ほどあった病院はすべてが破壊され、首都プノンペンにいた500人ほどの医師のうち、最後まで生き残れたのはたった数人でした。

現在でもカンボジアの医師の割合は、国民9,500人あたり1人であり、これは日本の545人に1人に比べて極端に低い率です。生まれてくる5人に1人の子供は5歳に成らないうちに死亡し、地雷によって手足を失い不自由な生活を余儀なくされている人々の数はカンボジア全国に約45万人以上と今でも増え続けています。

また、AIDS患者の数も急速に増加の一途をたどっています。現在のほとんどのカンボジア医療施設は、日本であれば簡単に行える治療でも十分に施すことができません。そのため患者は軽い病気であっても命を落としてしまうというのが実状です。

シアヌーク病院 ホープ医療センター

ちなみに、それまでシアヌーク病院は無料診療でした。運営費や診療費用、新たな病棟の建設資金などは、ワールドメイト会員の浄財によって賄われてきました。最近では診療費や研究費などに特化して、ビル・ゲイツの財団などからも支援が行われていたとも聞きました。

Handa Foundation Founder Dr. Haruhisa Handa: "This is truly a day to celebrate and give thanks."

The Handa Foundationさんの投稿 2013年2月4日月曜日

ハンダ・ファウンデーションの設立

2012年に、東南アジア辺境の最貧困地域の人々を支援するため、ハンダ・ファウンデーションが設立されます。そして同年3月から、イタリアのNGOが運営していたエマージェンシー・ホスピタルという外科病院を引き継ぎます。

この病院は1998年に、イタリアの「エマージェンシー」という慈善団体が資金を提供してバッタンバンで開業、運営していた施設です。しかしヨーロッパ経済の不況により資金が途絶え、サポートを継続することができなくなったことを2011年に発表します。

そして閉院になる所を、カンボジアの保健省と「エマージェンシー」からの依頼を受けた、深見東州先生が推進するハンダファウンデーションが運営を引き継ぐことが決まります。この知らせに病院のスタッフは大喜びしたそうです。

The Handa Foundationさんの投稿 2012年4月15日日曜日

この病院は年間に3500件もの外科手術を実施し、カンボジアの地雷被害者の半数はここで無料で治療を受けてきました。カンボジア北西部において、非常に重要な役割を果たしていた病院でした。カンボジアで一番と言われる外科医も在籍しています。そんな病院がバッタンバンから無くなってしまうと、カンボジアの外傷患者にとって計り知れない打撃になるところでした。

海外での福祉活動における二つの母体

エマージェンシー・ホスピタルは、翌年の2013年からはワールドメイト・ファウンデーションが運営を引き継ぎます。「ワールドメイト救急病院(ワールドメイト・エマージェンシー・ホスピタル)」と命名され、2015年からは全て無料診療を実施しています。

ワールドメイト・ファウンデーションにはワールドメイトが資金を提供しています。また、ハンダ・ファウンデーションも、多くはワールドメイトの支援によるものですが、さまざまな機関からの支援も受けています。

2012年、ハンダ・ファウンデーションのためにチャリティコンサートを開いたマイケル・ボルトン(中央)。その左はオブライエン夫妻。深見東州先生の左の人物は英国の勅撰弁護士アンドリュー・トーマス・ケイリー氏で、この時はカンボジアのクメールルージュ法廷の国際共同検察官を務めていました。2021年4月からは検察庁の女王陛下の主任検査官に任命されています。

なぜ、そのように2つのファウンデーションを設立したかというと、ワールドメイトの名前を冠するワールドメイトファウンデーションだと、他の宗教団体からの協力はお願いしにくいという事情があるようです。カンボジアにおいては、ハンダというネーミングには絶大なる信頼があるので、その名前を使わせて欲しいとのスタッフからの要望もあり、ハンダ・ファウンデーションが設立されます。

ハンダ・ファウンデーションのFacebookでは、キリスト教組織からの支援を受け、協力して福祉活動や救済活動にあたっている様子が掲載されていますね。

Medical mission day 2; our team with the support of volunteers from Battambang Church of Christ provided free consultation and medicine to 100 patients.

The Handa Foundationさんの投稿 2020年10月23日金曜日

ハンダ・ファウンデーションの方針

深見東州先生の指導方針の一つは、いかなる人も分け隔てなく受け入れ、公平に対応することです。そのため、ハンダ・ファウンデーションでは、年齢や人種、肌の色、信仰、性別、肉体的能力の如何を問わず、全ての対象者に平等に機会を提供するよう努めています。

そしてハンダ・ファウンデーションでは、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、神道、ユダヤ教などさまざまな信仰を持つ人々、また無神論者の人たちとも協力し、恵まれない人々の人生を変えるという共通の目的のために、心を一つにして活動しているそうです。

また、それらの活動は、以下のような基準を反映するように意図されています。

  • 地方自治体と緊密に協力して役割を果たす。
  • その地域社会にとって、意義深く差し迫った影響のあるもの。
  • 時間をかけて徐々に自立できるように設計されている。
  • 地元の専門家にトレーニングの機会を提供する。
  • 国内の社会的弱者への貢献。

ハンダ・ファウンデーション(2)に続く

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