私がワールドメイトに入会した20数年前のことですが、すでにそのころ深見東州先生は、福祉活動に熱心に取り組んでいらっしゃいました。シアヌーク病院をはじめとするカンボジアでの福祉活動が始まる以前のことで、ワールドメイトの規模も、今に比べると小さかった時期のことです。また、現在のように深見東州先生が関係される団体や組織もほとんど無かった頃でした。
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資金に余裕ができてから福祉活動をしようとすると永遠にできない
そんな頃、ワールドメイトのある講演の中で、「資金に余裕ができてから福祉活動をしようとすると永遠にできませんよ」というお話をされたのを、今でも忘れません。私もそれなりに福祉やボランティアに少し関心がありましたので、そのお話は心にズンと響きました。困ってる人を助けるといっても、それは資産家か企業か政府がやればいいことで、自分のような庶民は、お金や時間に余裕ができてからやればいいやと思っていたからです。
でも、そんなことを言っていたら、実際は何年たってもやらなかったでしょう。深見先生の言う通りなのです。そのことをどこか自分でもわかっていたのかもしれません。だから心にグサっと響いたのでしょう。深見先生は、無いなら無いなりに、できる範囲で精一杯やればいいようなことを言われていたと思います。そしてご自分でもそうやって実行されてきたからこそ、はじめは小さな規模であっても、ひとつひとつと実績を積み重ねていき、今のような世界的な福祉活動や社会貢献ができるほど発展してきたのだと思います。
もちろんワールドメイトに限って言えば、今でも大規模な組織になったとは思っていません。すこしづつ理解者が増え、着実に広がっているという感じでしょう。しかしそれにともなう以上に、さらに大きな貢献ができるようになったのは間違いありません。
ワールドメイトの会費は弱者救済に使われている
2016年1月現在のワールドメイトのホームページを見ると、ワールドメイトの会費収入は年間約10億円とあります。そしてこの10億円を、そのまま弱者救済のために使われているそうです。それはカンボジアを含めた、ラオス、アフリカ、中国、イギリス、アメリカ、豪州、日本など、世界に広がります。障害者のための世界的な福祉にも使われているそうで、またスポーツや芸術においても、弱者救済の局面において使われるそうです。10年で100億円、20年だと200億円になります。
そして会費以外に会員が寄付するお玉串で、組織を運営し、文化、芸術、スポーツの振興を進めているのだそうです。こうして、会員数が増えれば増えるほど、確実に弱者が救われる仕組を作られたわけです。
ワールドメイトでは、昔から会費を、福祉活動や弱者救済のために多くを使われてきましたが、いまやそういう規模にまでなったのだな~と、感慨深いものがあります。
ワールドメイトの福祉活動は、一石何鳥で救済の輪が広がっていく
もちろん金額では、国が行うような援助と比べれば、比較にもならないでしょう。だったらせっかく行っても、あまり役にたたないのではないか、などと考えるのは誤りです。そもそも10億単位の支援を行う宗教組織は、日本には無いと思いますが、それにワールドメイトの行ってきた福祉活動には全く無駄がなくて、同じ金額を支援するにしても、何倍もの貢献につながっているのは間違いありません。
シアヌーク病院をとってみても、18年間で130万人ほどの患者を診療してきたそうです。その中にはシアヌーク病院がなければ命を落としたであろう人が何万人もいたと言われています。また、治療を受けることができなかったら、社会復帰できなかった人もどれだけいたことでしょう。
そして、たくさんの優秀な医師や看護士を育ててきたそうで、その人たちが今カンボジア全土で診療しているそうです。その人達が育っていったおかげで、どれだけ多くの人が救われたことでしょう。さらに、少なくともプノンペンにおいては、シアヌーク病院の成功モデルに習い、貧しい人に無料診療を行う病院が増えたそうですから、カンボジア社会に与えた影響も非常に大きいといえます。
そういう医療福祉は、本来なら他国の支援などで、やれそうに思えるけどもやれなかったところなのでしょう。また、民間がするにしても、単にお金の支援だけでは困難が多いようで、なかなか続かないもののようです。そんな中で、いくつもの不可能が可能になり、不思議なくらいスムーズに進み、そして圧倒的な成果と実績につながっていくのが、ワールドメイトの福祉活動なのでした。
深見東州先生の福祉活動に対する理念
ワールドメイトの福祉活動は、不可能に思えることが可能になり、不思議なほどスムーズに進んでいき、素晴らしい成果と実績につながると書きましたが、そうなる理由は幾つかあると思います。まずワールドメイトの深見東州先生の、福祉活動に関する考え方を知ることが、理解の助けになるかと思います。
深見先生はワールドメイト会員に対し、何度かその理念について話してこられました。おおきく3つあるのですが、第一に、「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いである」と言われてました。これは福祉活動をする人にとって、非常に大切なことだと思いますが、なかなか簡単なことではないと感じます。私は理解が浅いので、よくわかってないかもしれませんが、障害者や困窮する人に対し、ただ援助すればいいのではないと思いました。
たとえば深見先生は盲人の方たちや障害者の支援をされてますが、ただ支援されてるわけではないことは、過去に紹介してきた盲人ゴルフの推進を読んでいただければ、ある程度理解していただけると思います。ゴルフの他にも、視覚障害者が仕事を持てるための沖電気のワープロや、キャノンが開発したオプタコン(指先に新聞などの活字を映して、点字ではなく、普通の文字を指先で読める機械)などを、何台も寄付されたこともあったそうです。
数々の盲人団体組織に関与してきた故松井新二氏は、若くして戦地で失明されたあと、盲目の詩人が書いた「失楽園」に教えられたそうです。そこには、「失明は本当に苦しいことである。それでも次の3つのことを考えてご覧なさい」と書かれていて、「その第一は感謝すること。泣きながら、苦しみながらも、生きていることに感謝しなさい。第二は、なんでも話せる友達を持つこと。第三は楽しんでできる仕事を持つこと」という内容だそうです。
深見先生はその松井氏と親しくされていましたが、松井氏の言葉で一番印象に残ったのが「目が見えないことは不自由ではあるが、決して不幸ではない」という言葉だったそうです。深見先生は同様に、「あらゆる障害は、不自由であるが、不幸ではない」と思い、また逆に言えば、「障害を持って不自由なのに、その上不幸にまでなると、自分があまりにもかわいそうすぎる。だから、何が何でも幸せになる努力をするべきなのだ」と思われたそうです。
その後海外で出会うロンアンダーソンを始めとするブラインドゴルファーは、皆、そのミルトンの3つのことを、それぞれの工夫で実行していたそうです。その姿を見て日本でもプラインドゴルフの組織をゼロから作り、盲人福祉の取り組みを始められるわけです。健常者と同じように、ほぽ同じルールのもとで不自由を乗り越えてスボーツに取り組み、人々と交流し親しい仲間を作り、新たな生きがいを持とうとする人々のために、その環境を整えられたのです。
それはけっして親切の押し売りでもないし、お節介でもありません。積極的に困難を克服して、その人の魂がその困窮をバネにして自己実現しようとしている、そのお手伝いなのです。そして世の障害を持つ多くの人たちにも、その素晴らしさを知ってもらい、チャレンジできる環境を作り、一人でも多くの障害者が自己実現できて、幸せになる努力ができるお手伝いをされているのだと思います。
この深見先生の福祉活動に対する理念は、ワールドメイトで何年も前に聞いたものですが、このひとつをとっても、深見先生がすすめる福祉活動が、なぜ上手くいくのか、なぜ多くの人から素晴らしいと言われるのかが理解できる気がします。でもあと2つの理念も大事なので続きを書いてみます。
民間のユニークな活動が長続きして成果が上がると国が動く
ワールドメイトの深見東州先生の、福祉活動における原点、理念とは、第一に、「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いである」ということでした。
で、第二は、「民間がやるべき福祉とは何か」についての考え方です。これも以前にも少し触れました。日本社会福祉学会の会長を4期務めた一番ヶ瀬康子教授からのアドバイスに基づく考え方ですが、「民間の福祉が功を奏する条件は、規模が大きすぎず、その成果を目の当たりにできて、しかもそれがユニークなものであること」だそうです。福祉活動を行う喜びを、身を持って感じられるのが大切だと考えられています。そうじゃないと長続きしないからだそうです。これは説明するまでもなく、そのまま納得できる内容だと思います。
私もワールドメイトに限らず、他のことで振り返ってみると、目的がはっきりイメージできて、身近で結果に見えるものの方が、やはり協力しやすかったと思いました。大きくて漠然としたものは、いくらそれが大事なものでも、一回きりならともかく、継続する気にはなかなかなりにくいと感じます。民間の福祉は、多くが関係する人の志や協力で成り立つのでしょうから、モチベーションを保てる具体的な内容でないと、長続きしないというのは理解できます。
また、その組織の規模の身の丈に合うものを行うことが大事だと言われます。深見先生はその当時から、アフリカの人々を救いたいと思ってあったようですが、アフリカの問題は大きすぎて国にまかせるしかなかったようです。でも今はどうでしょう。今でもアフリカ問題は巨大なことに変わりないと思いますが、その巨大な問題を小さく分けた、規模にあったものを行える機会を得られて、着実に取り組み、大きな成果をあげていらっしゃいます。南アフリカに子供病院を作るとか、レソト王国のエイズ撲滅のためにとか、青少年が犯罪に走らないようにスボーツを振興するとか、いろいろな局面で、ワールドメイトに限らず、それ以外の組織からも支援をされておられるようです。
また、そうやって民間のユニークな活動が長続きし、大きな成果が上がると、国が動いて大規模な活動になっていくそうです。シアヌーク病院の活動の大きな成果により、カンボジア政府が動き、プノンペンの医療環境が大きく整備されることにつながったことなど、その典型のような気がしました。
福祉とはお金を出して終わりではない
第三は、「福祉を通じて心の交流をする」ということです。深見先生は、「福祉とはお金を出して終わりというものではありません」と言われています。そして、カンボジアやアルバニアや中国の辺境地などの教育環境がない地域に、小学校を作る活動を、さまざまな組織を代表して続けてこられましたが、そういうとき、忙しい中でもわざわざ現地に出向いて、現地の子供たちと触れ合い、温かくはげまし、希望を与えられました。
また、クメールルージュ(ポルポト派)に、夫や子供を虐殺された犠牲者の遺族3万軒に義捐金を渡すセレモニーでも、一人一人に優しく声をかけで、手渡しをされていました。支援金も合計3億9千6百万のうちの3千万は先生個人の資産から寄付されてますが、さらに時間と労力をかけ、数回にわたり実行されてきました。
遺族の人々は、支援金だけでも嬉しかったでしょうけど、さらに温かい心の触れ合いを通じて癒され、「こんなことをしてくれた人は、今まで誰もいなかった、本当に嬉しい」と号泣する人がたくさんいて、また、それを見たカンボジアの人々も感動し、勇気づけられたといいます。そういうことを見てきたワールドメイト会員は、「心の通う福祉こそが、本当に生きた福祉」という、そんな深見先生の生き様を知っているのでした。
シアヌーク病院の果たしてきた大きな役割
ワールドメイトのホームページを見た人は、すでに知ってる内容ですが、ワールドメイトのカンボジアにおける医療福祉活動についての、今後の方向性が書かれていました。2年くらい前にワールドメイトでも話されてましたが、プノンペンにあるシアヌーク病院の他に、バッタンバンという街でも病院の支援をしているという内容でした。
と同時に、プノンペンでは、シアヌーク病院のように無料で診療する病院が増えてきたとも聞いていました。これはシアヌーク病院を良い手本として、政府が動いて無料診療を公的病院でも行うようにしたからだそうです。これはとても画期的なことですね。なにしろ、シアヌーク病院ができる1996年までは、首都プノンペンですら医療体制は壊滅的で、風邪をひいても病院に行けないような有様だったそうですから。
それはカンボジア国民が、アジアでもっとも貧困に苦しみ、診療費が払えず病院にも行けないからですが、もうひとつ、人口3万人に対して医師1人という信じられない状況があったからです。そんなところにワールドメイトの深見先生が、24時間体制で、診療費はすべて無料でできる病院をつくる決断をされ、シアヌーク病院の誕生につながっていきます。ですから当時は、無料診療どころか、そもそも医師も病院もほとんど無かったといえるでしょう。
それから10数年、カンボジアの経済は急速に伸びて今日にいたります。それにともない、首都プノンペンでは多くの病院が整備され、しかも無料で診療できるまでになったのでしょう。もちろん、優秀な医師の育成などでは、シアヌーク病院の貢献が非常に大きかったと思います。
そんなカンボジアの状況を聞いてきた一人としては、プノンペンに多くの病院ができ、無料で診療もできる体制になったと聞けば、とても画期的なことであり喜ばしいと思いました。そして、シアヌーク病院の今日まで果たしてきた役割の、なんと大きかったことかと、改めて思いをはせました。
10年くらい前、大勢のワールドメイト会員で、カンボジアに行ったことがありました。そのときシアヌーク病院に寄ったそうですが、朝から何百人という患者が病院の前に列をなし、あまりに多いので重症の病人を優先しますが、すべての患者を一日で診きれないほどだったと聞きました。それが今では並ばなくても診てもらえるまでになったのですから、カンボジア人にとっては幸せなことでしょう。
シアヌーク病院については、こちらにも詳しく書いています。
バッタンバンのワールドメイト救急病院で、再び無料診療を
ところがプノンペンでは医療環境が整いつつあっても、それはプノンペンだけの話で、他の地域はまだまだだったのです。そこで、やはり深見先生のされることは違いました。新たなバッタンバンでの病院支援につながっていくのも、そういう事情を知って憂いてあったからでしょう。そのバッタンバンの病院は、もともとはエマージェンシーというイタリアのNGOが資金を出し、1998年から運営していたそうですが、2011年に資金不足に陥り、病院を閉鎖せざるえなくなったそうです。
そこで、カンボジア政府とエマージェンシーは、ハンダ・ファウンデーションに病院を継続できないかのお願いをし、それをハンダ・ファウンデーションが引き受け、さらに2013年6月からはワールドメイト・ファウンデーションに引き継がれたそうです。また、名前もそのときワールドメイト救急病院に変更になったとのことです。
とにかくその病院があるバッタンバンという街は、首都プノンペンに次ぐ人口を擁しながら、プノンペンに比べるとずいぶん発展に遅れをとっているそうです。しかもカンボジアでも、もっとも地雷や不発弾による負傷者の多い地域なのです。もしもそんなところから、貴重な病院がなくなってしまったら、300キロ離れたプノンペンまで行かなくてはならず、交通機関などインフラ整備もされてませんし、事実上不可能だったでしょう。病院の継続が決まった時の関係者の喜びは、それはそれは大きかったそうです。
2015年からワールドメイトは、シアヌーク病院の運営のすべてを共同運営しているホープに委譲し、今後もある程度の支援は続けるそうですが、より困窮度の高いバッタンバンのワールドメイト救急病院での救済に、ワールドメイトの支援の軸足を少しシフトするそうです。
そして今年からは、バッタンバンのワールドメイト救急病院のすべての診療を無料でできるようにされたそうです。素晴らしい方針だと思います。シアヌーク病院は今後はホープの運営により、より必要とされる高度な診療を有料で目指すことになるのかもしれませんが、お互いが活かされる素晴らしい活動を、これからも続けてもらいたいです。