ワールドメイトの深見東州先生は、絶対的な不幸なんてないんですよと、言われることがあります。不幸な気持ちがあるだけなんですよと。
これは、意味が深い言葉で、たとえば子供が親不孝で、やりたい放題で親に迷惑ばかりかけ、心配ばかりかけていると親は苦労しますし、病気になったりして本当に子供のせいで不幸になってしまったと思うでしょう。たしかに、そういう人がいます。こどものことで心配ばかりして、自分を不幸にしている人がいます。
でも、子供に気持ちが着さないで生きていけるならば、たとえいろいろあっても、痛み苦しみはあっても、それが不幸とはならないそうです。自分の心が子供に囚われているから、不幸と思う気持ちになるのであり、じっさいに不幸なわけです。
また、比較してみればわかるように、もっと不幸な環境の人はたくさんいますし、上には上があります。それがわかる人は、そういう人たちに比べて、自分の方が不幸だとは思わないでしょう。むしろ幸せだと思えてくるものです。そういう境地や信仰を持っている人は、不幸には絶対にならないそうです。
そして大事なことは、生きてるときに幸せな人は、あの世でも浄土のような世界ですが、生きてるときにそれが悟れず不幸な人は、あの世でも大したことがないということです。
これは、昔から言われていましたが、最近ようやく、本当にそうだと思えるようになってきました。まだ十分ではないですが、環境に支配されずに、環境を支配する側でないといけないのでしょう。そうやって苦しい環境のときでも、苦しいと思わなくなることができれば、たしかに不幸になりようがないですね。
ワールドメイトに入会してすばらしいことの一つは、そのように自分を不幸な気持ちにしないで、幸せな自分にできることなのかもしれません。それと並行して、より実力も運も備われば、さらにいうことがないです。そのようになれるのが、ワールドメイトのすばらしいところだなと、最近わかってきました。
そして日々、目標に向かって、ただ今ただ今に生きていけばいいわけです。そうすると、悩む暇もないし、現実的に問題があっても結果的に良い方に向かいます。たとえ良い方に行かなかったとしても、気にならなくなりますから、どのみち不幸ではありません。
まず、絶対に自分を不幸にしない自分をつくらないといけませんね。そうすれば、あとは幸せな自分しか残らないし、幸せになる道にしか進みようがなくなりますから。
お盆の季節で先祖を供養するときも、生前幸せだった先祖もいれば不幸な先祖もいたでしょうけども、生きてる子孫が幸せになることは先祖にとってもありがたいことだと思います。不幸な子孫に供養してもらうよりも、幸せな子孫に供養してもらう方が先祖もありがたいと思います。
また、子孫である自分が不幸な気持ちでいると、不幸な気持ちで死んでしまった先祖を救うこともできないでしょう。不幸な先祖と波長があってしまって、ますます調子がおかしくなるかもしれません。
人間というのは努力すれば努力したで、困難はたくさん出てきます。だから困難や悩みがあることは、当たり前のことであり、むしろそれは、ありがたいことなのかもしれません。そう思えるようになれば、本当に幸せな人生観ですし、じっさいに幸せな人生にしかならないでしょう。
そういうことを自然と学べるのがワールドメイトの特徴ですが、それが実際に身についていくことが本当にすばらしいなと思います。
人間の幸せとか不幸とかは、どうやって決まるのだろうと、ワールドメイトに入会する前は随分考えていた記憶があります。ところがワールドメイトに入会してからは、あまり考えなくなりました。考える暇があれば精進努力しようと、そういう気持ちになったからかもしれません。
とは言っても、人間として精進努力していれば、努力しなくてもそうですが、いろいろな悩みが次から次に出てくるかと思います。悩みがあるから不幸になるとは限りませんが、それが深刻になれば、たしかに不幸になることもあるでしょう。
そういう悩みに関して、深見先生はワールドメイトで相当な数の悩み相談にものってこられました。最近はあまりに忙しくてそういう時間はありませんが、過去の悩み相談をまとめたビデオなどで、いまでも見ることは可能です。
一口に相談といっても、身近な疑問のようなものから、かなりヘヴィーなものまでありますが、あらゆる内容に、いろいろな角度から縦横無尽な答えが出てくるので、聴くたびに感心していました。
しかし本当は、深見東州先生や人に相談するのではなく、自分のことは自分で解決できるようになるのが素晴らしいことだと思います。信頼できる相手がいても、いつでも相談にのってもらえるとは限りませんので、悩みがあればすぐに人に相談する癖がある人は、その人自身が困ることになるでしょう。
実際にワールドメイトに入会すると、だんだん、人に相談せずに、自分で解決できるようになっていきます。
では、どのようにして自分で解決できるようになるのでしょうか。そんな良い方法はあるのでしょうか。あるとき深見東州先生は、考えるから悩むんですよと言われたことがあります。悩みはいろいろ考えるから悩むのだそうです。
では、考えなければ悩みにならないのでしょうか。信仰がある人なら、問題があれば考えるのではなく、そのまま瞬時に神への祈りにしていけばいいそうです。頭で考えていくら悩んでも、神様も先祖も動いてくれないし助けてはくれないそうです。だから悩みになるし、行き詰まりになっていくのだそうです。
頭ですぐに考えてしまうからそうなるわけですから、頭で考えないで、すぐに神仏に、あるいは背後霊や先祖に祈り向かえば、背後霊や神様が動かれて、じきに答えが返ってくるようになるそうです。
しかし、ワールドメイト会員ではない人にとっては、「祈りなんかで解決するなら苦労はしないよ」、そんな声が返ってきそうです。私もワールドメイトに入会する前までは、そう思っていたと思います。だから、そう思うのがむしろ普通だと思います。
しかしワールドメイトに入会し、実際に深見東州先生が人間離れした、不可能を可能にされるところを次から次に見て、その考えが間違いだったと気づくのに、そう時間はかかりませんでした。深見先生が、あのようなだれもできないようなことを次々とやれるのは、そういう祈りの力と無縁ではなかったわけです。
努力しようとするやる気や、最短の努力で最大限の効果がでるやり方も、祈りからはじまるようなのです。ただその祈り方が、私たちが思うような祈りとは、一味もふた味も三味も違ったものでした。教えてもらわない限り知ることのできない、自分では絶対にわからない内容だったのです。
小さい時から神仏に祈り続け、祈りを工夫し進化する中で、祈りの力で人生を切り開いていけることを深見東州先生は体得されているわけですね。それ以後も、ますます進化し、今では、なんでもできるような人になってしまわれました。
深見東州先生は、他力を常に動かし、余計なことは考えないそうです。考えてもわからないことは、すぐに祈るのだそうです。どんどん祈って投げかけていくそうです。そうやって祈って口に出して言わないと、神仏は動かないからだそうです。
頭で考えるという分別の知恵ではなく、神仏に祈ることからくる、天来の知恵によって、深見東州先生はあらゆる不可能を可能にしているのでした。
たしかに祈れば聞いてくれる、祈らないと聞いてくれないというのは、ワールドメイトに入会して、私もなんども経験してきました。にもかかわらず、ついつい祈りを怠ってしまうのは、すぐに頭で考えるという長年の癖が抜けきれないのと、まだ本当に祈りの極意を会得できてないからでしょう。なので我力と人知になってしまい、いきづまってしまうことが今でも多々あります。
それでも、この祈るという行為によって、次々と越えていく訓練をしていくならば、死ぬまで素晴らしい人生になるであろうことはわかります。そういう人になることができれば、周りの人までもうまくいくことでしょう。深見東州先生がまさにその見本と言えます。
深見先生と一緒に何かをやる人は、いつも、その人の能力以上のことがやれているのではないでしょうか。そして、明らかに運まで良くなっていく人が実際にいますから。
祈りについては、生まれつきの祈りの才能というものもあるのかもしれません。それでも、ワールドメイトで真剣に学んでいけば、だれでもある程度以上にはやれるようになると思います。最低でも、自分のことは自分で幸せにできるレベルくらいにはなれると思います。
ワールドメイトでは、世界から貧困と戦争がなくなり、平和で豊かな世界になるようにとの、人類規模の祈りもしています。願うスケールが大きな分、時間と労力がかかりますし、規模が大きいものほど叶うまでには、それなりの何十年という時間がかかることでしょう。
しかし、個人のことは小さな願いなので、もっと短時間で叶うと思います。深見東州先生は、過去において、いろいろなことで不可能を可能にしてきた人ですが、そこまでなるのは無理でも、いままでの自分の何十倍も素晴らしい自分自身にはなれるはずです。そうならないと、ワールドメイトに入会しても、もったいない気がしています。