今回は菱研の講演会で聞いた深見東州先生の営業におけるエピソードを紹介します。
25歳で起業されて以来、ずっと会社経営をされてきた深見東州先生ですが、今回は、起業する前のサラリーマン時代のお話です。
同志社大学を卒業後、建築のダイワハウスに就職が決まり、関西から上京されます。今から40年以上前のことになります。
持ち前のバイタリティで、入社早々から営業マンとして活躍されますが、ある日上司から、誰が営業に行っても全く話にならない大きな物件を、「半田、お前が営業に行ってこい」と言われたそうです。半田とは深見東州先生の本名が半田晴久です。
どんなベテラン営業マンが行っても無理なのに、そこに、何をやってもいいから行ってこい、と命じた上司も、何か期待するものがあったのかもしれません。
何をやっても良いということだったので、深見東州(半田晴久)先生は、先方の会長のところに夜訪することにしました。何しろ受付では全く相手にもしてもらえないし、今頃きても遅いと言われる始末です。それに相手の会社の誰と交渉すれば、この話が進むのかも皆目見当がつきません。そこで会長ならば、誰と交渉するのが良いのか知っているだろうと思い、直接聞きに行かれたのです。
この大胆不敵で、しかもストレートなやり方は、それがやれるものならやりたいところですが、普通は気が引けてしまってできないかと思います。ましてやこの時、新入社員の平営業マンですから。いきなり会長に面会を求めるなどあり得ません。
しかもこの場合の相手は、財界の怪物、泰道照山氏です。泰道照山氏は、当時エスエス製薬の会長でした。今回の話とは関係ありませんが、孫の宮本佳代子さんは、小泉純一郎元首相と結婚し、進次郎と孝太郎の二人の息子を儲けています。
その泰道照山氏の家に、夜、真正面から訪問されます。そして、普通なら門前払いで終わりになるところですが、幸運にも、先方は別な人と勘違いをして、すんなり家の中に通してくれたそうです。
そして、イザ対面して見ると、初めて会うことに気がついた泰道照山氏は、「それで何しに来たんや、お前」となります。そこから深見東州先生の営業が始まります。
「いや、それはもう、ほんとに大事な、素晴らしいお話を持ってきました。」
「うん? 素晴らしい話?」
「これをご覧ください」と、組織図を出して、「これが御社の会社組織図です」
「ああ、そう。それで?」
「この組織図を見ると、やっぱり会長が一番偉い」
「うん、それで?」
「御社に今度、浪江町の工場建設の計画がありますよね、26億円の」
「ああ、あるよ」
「あの仕事を、どうしても私の会社で欲しいのです。なぜならば、私の会社はどこよりも安く、早く、技術も最高だからです。すばらしいじゃないですか」
「ほう、それで?」
「どこの会社よりも早くて、安くて、技術も最高。こんな会社で造ったら、絶対にいい工場ができると思うのですよね。」
「それで?」
「どうしてもこの仕事が欲しいんです、だけど、どうしたらいいかわからないので、会長に聞いたらわかるかなと思って、来ました。」
泰道照山氏は、「はあ・・・?」という顔して深見東州先生の顔を見たそうです。深見先生も、「はあー」と泰道氏の顔を見たところ、突然泰道照山氏は笑い出し、ソファーでずーと笑い転げていたそうです。
そして、「熱心やな、あんたの社長をよく知っとるけど、こんな熱心な社員がいるとはな」と、態度が一変して、いたく感心したそうです。それで気に入られたのか、色紙を書いてくれたり、誰を攻め落とせば良いのかも教えてくれたそうです。
かなり簡単に紹介しましたが、このエピソードから、不可能を可能にする開拓力には、これくらいの度胸が必要なのだと、私は感じました。深見東州先生も、毎回、相手の会社の会長のところに行かれていたわけではないでしょう。しかし、相手が大物であっても、度胸で、相手の胸に飛び込んでいけば、道は開けることを教えてもらった気がします。
深見東州先生(半田晴久菱研所長)によると、営業とは、「粘り強く何回も足を運んで、担当者と仲良くなって、本音のところを教えてもらえるように人間関係を作って行くことです」と言われていました。相手に好きになってもらえれば、どうすれば仕事をもらえますかとはっきり聞くと教えてくれるようになるそうです。営業力とはこれだけのことなのですが、それができないから仕事がもらえないのですと言われていました。
もちろん、その営業の核心ポイントを知ったところで、それだけでは、なかなか実行しても成功しないと思います。そのために、具体的にどのようにすれば良いのか、どのような言葉でいけば良いのか、具体例と成功例をたっぷりと話されるので、それを聞く菱研のメンバーたちの営業力が上がっているのだと思います。
それ以外にも営業に関しては、クレームが起きた時にはすぐに行って対応する誠実さのことも言われていました。クレーム対応によって、逆にファンになってもらえることが大事です。住宅関連の仕事においては、各社に大きな差はないので、そのような営業力が決め手になると言われていました。
さらに、それができるようになると、同業者間の人間関係も重要になるそうです。日頃から同業者間営業を行い、仲良くなって、人間関係を作って置くことが大事になるそうです。そうすると、一緒に仕事をやろうとか、仕事が回ってくるようになるのだそうです。
と、文章に書くとそれだけのことですが、深見東州先生のビジネスを少しでも知ってる人なら、この内容をそのまま実行されていることがわかると思います。だからこそ、厳しいビジネスの世界においても成功されているのでしょう。
ワールドメイト会員は、深見東州先生の活動が公益活動を中心に、芸術活動や、宗教活動など本当に多岐にわたり、どれだけ多忙な日々を送られているのかを、かなり理解しています。下手すると、ビジネスを行う暇がないほどだと想像しています。にも関わらず、多くの会社を立派に経営されているのですから、全て中小企業ではありますが、やはりすごいことだと思います。
最後に私の個人的な意見ですが、もしもビジネスにその才能を特化して取り組まれたら、今頃は日本を代表するような企業を複数切り盛りされていたのではないかと思ってます。しかし、宗教家でもある深見東州先生は、あえて国民の多数を占める中小企業の経営者やサラリーマンたちの、もっとも多い仕事の悩みや苦しみを解決するために、今のような形でされているのかもしれません。なにか必然性があるのでしょう。
それからもう一つ、今回のエピソードに追加すると、泰道照山氏は翌日に、ダイワハウスから熱心な社員が来たことを自社の全社員に向けてお話ししたそうです。そして、あのように頑張っている社員がいるのに、お前らはそれほど頑張ってないように見えるとハッパをかけたそうです。そして、社内目標を1,5倍に引き上げ、最終的にそれを達成したとのことです。
そこはうまく利用して、自社の実績に結びつけるところはさすがですね。目標が上がった社員からすると、相当に大変だったとは思いますが。そうやって、相手の会社にまで波及効果を及ぼした、深見東州先生の若かりし頃の営業のエピソードを紹介しました。