深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
深見東州先生とカオ・キム・ホルンASEAN事務総長

3月18日に開催された深見東州バースデー個展の開会式のことです。例年、個展の開催式には、深見東州先生と親交のある多くの著名人が来場し、挨拶をされますが、今年は海外から、ロイヤルファミリーのピーター・フィリップス氏、オーストラリア元首相のスコット・モリソン氏、現アセアン事務局長のカオ・キム・ホルン氏が友人として来日し、お祝いの言葉を述べていました。

この中で、カオ・キム・ホルン氏と深見東州先生は、20年来の親しい友として、さまざまな活動で協力されてきました。そのカオ・キム・ホルン氏と深見東州先生の交流については、これまでもいろいろと聞いてきたのですが、それらも含めて今回新たにわかったこともありました。そのことをカンボジアでの活動もまじえながら書きたいと思います。

カオ・キム・ホルン氏と深見東州先生の出会い

カオ・キム・ホルン氏は、ポルポト政権下の混乱の時代において、ボートピープル(紛争・圧政などの下にある地から、漁船やヨットなどの小船に乗り、難民となって外国へ逃げ出した人々)として、米国へ逃がれたそうです。そこで、必死で英語を勉強し、高校、大学を卒業します。

さらに1985年からオハイオ大学に進み、国際問題学修士と政治学修士を取得します。また、ハワイ大学の博士課程にも進みます。のちに2001年には博士号も取得しています。とても苦労したと同時に、非常に優秀な方だったわけです。

そして1993年にカンボジアに戻ると、当時、シアヌーク国王の親戚のノロドム・シルブド殿下が創設したカンボジア協力平和研究所(CICP)の研究員となり、1994年には所長になったそうです。当時のカンボジアでは、唯一認められたシンクタンクだったようです。

なを2019年に、シルブド殿下に対して、日本とカンボジアの両国関係に対する貢献により、旭日大綬章が授与されています。

その1990年代半ば、深見東州先生はカンボジアでの悲惨な窮状を聞きつけ、24時間体制の無料病院をプノンペンに建設することを決断されます。そして、シアヌーク国王の名前をとってシアヌーク病院と名づけられ、1996年12月に完成します。

そのような、カンボジアにおける福祉活動がご縁で、シルブド殿下から、カオ・キム・ホルン氏を紹介されたのが最初の出会いだったと、今回聞きました。

私立カンボジア大学を共同設立

また当時、人口の半分以上が10代か、それ以下となったカンボジアにおいて、深見東州先生は教育と人材育成が急務であることを、フンセン首相からも聞かされます。

当時のカンボジアには、6つの国立大学もありましたが、政治・経済・文化系の総合大学がなかったため、「カンボジアのハーバード大学」を目指して、国際レベルの博士号や修士号を取得できる大学を作る決断をされます。そして、2003年にビジネスホテルを改修して、私立カンボジア大学を開校しました。

ちなみにシアヌーク病院も私立カンボジア大学も、ワールドメイト会員の浄財によって建設され、運営されました。共同設立者であるカオ・キム・ホルン氏が学長になり、深見東州先生は大学総長兼、政治学部の教授に就任します。

「カンボジアのハーバード大学」を目指し、すべて英語で授業を行なうそうです。2006年には政府の教育機関から、国立プノンペン大学や私立パンヤサ大学とともに、カンボジアの大学トップ3の評価を受けるまでに成長します。

ただ、小さなビジネスホテルを買取り改修した施設だったため、カオ・キム・ホルン学長は、レベルでは負けてないのに、パンヤサ大学のような大きな建物ではないのが、悔しくて悔しくて仕方がなかったそうです。学業で苦労してきた方だけに、少しでも良い設備のところで学生に学ばせたいという思いが強いのかもしれません。

それで深見東州先生が、じゃあパンヤサ大学よりも大きな建物を作ろうと、さっそく土地を買取り、建設に向けて着手されます。この決断の速さと実行力には、毎回、ワールドメイト会員は驚かされますね。

またこの時、新しく校舎を建設するにあたり、庶民の教育のためにテレビ局とラジオ局を買い取ろうと思ったそうです。カンボジアのテレビやラジオはエンタメが多く、また、テレビ局も政治に利用されていたそうです。NHKや教育テレビのようなものがないので、教養番組を放送するチャンネルを作り、庶民の教養レベルの向上につなげたいと考えたそうです。

幸い最後の一つの権利が残っていたので、それをカオ・キム・ホルン氏が買い取ろうとしますが、窓口の役人から賄賂を要求されます。そこで困って深見東州先生に相談すると、当時のフンセン首相につぐナンバー2の人が出てきて、カンボジアのために頑張っている人たちに対してけしからんということで、無事に買い取ることができたそうです。いろいろとあちらの国も大変のようですが、そうやってテレビ局もラジオ局も、大学構内に作ることになります。

さらに、大変なことが他にもあり、日本から送金した工事資金が途中で着服されて、建設は簡単には行かなかったようです。

その後、深見東州先生は、カンボジア王国政府の大臣級顧問、および首相顧問への要請をうけ就任することになります。

そして大学建設が半分くらい完成したところで、建物の上部には鉄筋が残っている状態で、授業を始めたことも初めて聞きました。そうやって最終的に一昨年の12月ごろに、11階建ての校舎がすべてが完成したということも、今回初めて知りました。

そんな困難に見舞われながらも、深見東州先生とカオ・キム・ホルン氏は、お互いに協力して乗り越えて、生徒たちに立派になってもらうため、カンボジアのために尽力されてきた仲だっわけです。

ASEAN事務総長に至るまでの転機

それから大学を作る頃の話に戻りますが、深見東州先生とカオ・キム・ホルン氏は、カンボジアの発展と若いリーダーを育成するため、アセアン諸国からも有力な政治家や財界人、学者を呼んで、有意義な会議や討論を行いました。

ただ、カオ・キム・ホルン氏によると、せっかく有力な政治家や著名人に参加の約束を取り付けても、あっさりすっぽかされてしまうことが多かったそうです。そこで、深見東州先生は、我々のように困った時に助けあうのではなく、打算で動く人が多いのだから、舐められないようにしないとそのようになりますよとアドバイスされたそうです。

せっかくカンボジアのために、あるいは大学の生徒たちのために、素晴らしいことをやろうと思っても、地位や権力や立場がなくては、相手も聞いてくれないですよと言われます。それでカオ・キム・ホルン氏は、そのような立場になるために立候補し、のちに大臣にまでなっていかれます。

アセアンのカンボジア代表やアセアンの憲章を創起する委員にもなるなど、もともと、とても優秀な方でしたので、このたびはアセアンの事務総長にも選出されたのでしょう。権力におもねたり、私欲に走るのはもちろん駄目ですが、そうやって権力や立場を得たことで、深見東州先生がアドバイスされたように、カンボジアのためにも、大学のためにも良い結果を生むことができるようになったわけですね。

そのように深見東州先生とカオ・キム・ホルン氏は、カンボジアのために、ゼロから大学を作り、テレビ局も作り、協力しながらやってきた刎頚の友としての、積み重ねてきた歴史があるわけです。

現在、私立カンボジア大学は、国内トップ3の評価で4000人の学生がいるそうです。また、テレビ局も、深見東州先生は論説委員も務められますが、国内の視聴率は3番以内になるとのことです。

カオ・キム・ホルン氏は、現在アセアン事務総長にまで上り詰めますが、困った時に陰で支えてきたのが、深見東州先生と言えるでしょう。本当の友人とは、困った時に助けてくれる人であり、深見東州先生は、そのような関係を世界の多くの人たちと築いてきたからこそ、世界中に多くの友人がいて、信頼関係が生まれ、多くの素晴らしい活動につながってきたのでしょう。

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