深見東州先生は、ジャンルを超えたクリエーターとして、あらゆる分野をまたいだ創作活動を精力的に続けています。ここでは音楽や舞台芸術活動を除く、絵画を創作する画家、日本伝統の書家、また服飾や時計などのデザイナーとしての一面、そして文芸家としての創作活動について書いています。
目次
スタイルや画材に捉われないボーダレスな画家になるまで
一度でも深見東州先生の個展を見たことがある人なら、まず、作品のスタイルが非常に幅広く、同じ画家が書いた作品なのかと思う人も多いと思います。技法のジャンルで言うなら、油彩、アクリル画、水彩画、パステル画、水墨画、墨彩画、日本画、木版画、ドローイング、などなどの作品があり、画材や技法にとらわれず描かれています。絵画のスタイルになると、具象画と抽象画のどちらも多作です。その中にはアクションペインティングと呼ばれる技法で書かれたものも見られます。
と、ジャンルの分類で深見東州先生の絵画を説明しようとしても、あまり意味がないように思います。個展会場で、多様な作品群を一度に見てもらい、深見東州先生の世界観に触れることが一番だと思います。そうすると、なにものにもとらわれない創造的な絵画美術の素晴らしさに浸ることができると思います。
ところで、なぜこのようなあらゆる技法で、さまざまな画風の作品が描けるのかといえば、35歳から絵画をはじめて以来、独学プラス、多くの師について絵画の技法を学んできたからだと言えます。
最初は独学から始まりますが、その後仏画を浅井秀水女史に、日本画と水彩画を犬飼得有之氏に、油絵と西洋画を松下友紀氏に、水墨画を安永麦州氏と沈和年氏に師事して学びを深めていきました。
また、美術を本格的に究め、論文にしたいと思い、52歳から中国精華大学美術学院美術学学科博士課程に入学します。研究活動の一環として展覧会を開催したり、中国の専門書に論評載せたりもしました。そこでも優秀な個性ある5〜6名の教授から学びます。
3年かけて文学博士号(Ph.D)を取ります。ちなみに2002年には国立中国芸術研究院より、外国人としては初となる一級美術師の認定も受けます。
やはり一朝一夕に今のような素晴らしい作品が描けるようになったのではなく、人並外れた集中力で、優れた画家の絵画作品や師から吸収し、工夫と経験を重ねてこられた結果なのでしょう。そこに、持って生まれた研ぎ澄まされたインスピレーションが加わり、作品が、次々と生み出されているのだろうと思っています。
今でこそ、多くの専門家から高く評価されていますが、最初に深見東州先生の絵画を高く評価したのは、当時、優れた美術書の出版で、「美術書の求龍堂」との高い評価を得ていた求龍堂編集長の故松井武利氏でした。
深見東州先生が自ら経営するたちばな出版から美術作品集を出そうと思い、美術に定評のある求龍堂に編集のやり方などの相談に行ったのがはじまりです。そこで編集長をしていた松井氏の目に止まり、求龍堂から出版しようということになったそうです。
松井氏によると深見東州先生の作品は全て、画家の3要素と言われる能力「純粋・素朴・稚拙」が見てとれるとのことです。純粋とは絵に邪念がないこと、素朴とは人為がなくありのままの心で描くこと、稚拙とは下手なことで、うまく描こうとしないことだそうです。
そして天真爛漫であり、融通無碍と評されました。さらにそこから型にはまらない独自の進化を遂げ続け、今日に至るまで創作意欲が衰えることはありません。
評価に関しては以下の記事も参考にしてください。
美術展にもこれまでいくつか作品を出品してきました。いくつかの賞も得ています。個展も、ニューヨークのソーホーはじめ、オーストラリア、中国、そして日本でも多くの個展を開催してきました。日本では2000年から毎年誕生日に合わせてバースデー個展を開催し、多い時には200点ほどの新作を出品することもあります。2023年時点で作品数は3500点を超えています。
書家としてのプロフィール
高校2年生で、書道部で田端曲全先生より学んだのがはじまりです。その後は35歳まで中断しますが、日本の女流書家を牽引する竹中青虎氏との出会により、以後今日まで師事することになります。また、20世紀を代表する日本の書家と言われる故西川寧氏の孫弟子にもなっています。その縁で読売系の謙慎書道会展に出品するようになります。
深見東州先生の書に関して竹中青虎氏が評されるには、特殊な筆法、篆書、隷書、六朝の造像の楷書、盛唐の顔真卿の書法、清朝の金農の特殊な隷書体字、などなど、深見東州氏にはたぶん歴史上のあらゆる筆法や名筆がインプットされているはずで、それを、いつでもどこでも取り出せ、応用し、独自なものに創造できることが凄いとのことです。
そして驚かれていたのは、練習を何時間もやっていると、ある時から突然神がかりのようになるそうです。そして自由自在に形、線質、筆圧、墨色、遅速、筆法など、さまざまな表現を書き分け、数分間隔で、全く違った作品を生むのだそうです。特に気韻生動までかき分けられるのは、世界で深見東州氏だけだと思うと評されていました。
実際に深見東州先生の書の作品を見た方ならわかると思いますが、歴史上のさまざま人物をイメージした臨書とも言える作品群があり、竹中青虎氏のような書の達人の方が見ると、それが本当にその人物が書いたかの如く、見事に書き分けができているのでしょう。それは即身成仏を体得し、中国では五筆和尚との異名を持つ空海のような人物の系譜として捉えなければ、説明がつかないということです。
書に関する評価に関しては以下の記事も参考にしてください。
2001年に「大英図書館永久収蔵記念〜現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙展」に出品し、その作品は大英図書館に永久収蔵されています。2014年には、大英博物館の主催で書画個展を開催し、評判となりました。
大東文化大学書道研究所認定書道教授者であり、謙慎書道会評議員を努めます。また、現代日本書家協会顧問であり、国際書道研究所を主宰しています。絵画同様に、世界の美術展に出品し、個展も開催してきました。
マルチ文芸家としての創作活動、また著述家として膨大な文章を著す
いわゆる文章を書くことを生業にする人のことを「物書き」と言ったりしますが、深見東州先生も物書きとして、これまで膨大な文章を書かれてきました。その中で文藝というジャンルに絞ると、小説家としては短編小説集を3冊、そして10冊を超える詩集を著してきました。
54歳で井上ひさし氏の推挙によって社団法人日本ペンクラブの会員になっています。また、46才で中村汀女氏の直弟子の伊藤敦子氏に師事し、東州句会を主宰、毎月句会を行います。55才で故金子兜太氏の推薦により、現代俳句協会会員になります。これまで2冊の句集、5冊の写真句集、安永麦州の水墨画と俳句のコラボによる「墨汁の詩」などを発表しています。
また、詩をベースにした絵本集も多数刊行しています。そして「明るすぎる劇団・東州」を旗揚げしてからは、団長として全ての脚本を書き続けてきました。さらに、いくつかのアニメ作品の原作も手がけてきました。
小説や詩に関する深見東州先生の考え方については以下の記事を参考にしてください。
文芸作品を書くときは戸渡阿見というペンネームを用いていますが、その理由については以下の記事を読んでください。
そして、文芸作品以外の著作も含めると、スピリチュアル本、ビジネス書など、これまでに300冊を超える本を著しています。うちいくつかは海外7カ国に訳され、出版されています。
また、ワールドメイト会員限定になりますが、2022年末現在、4000回を超える膨大な文章のToshu Fukamiメールマガジンを配信してきました。また、ライターとして、これまで新聞・雑誌などにコラムや評論など、多数執筆しています。
服飾デザイナー・時計ジュエリーデザイナーとしての活動
美術作品の創作とは趣が違いますが、仕事柄、時計のデザインを早くから行っていました。株式会社ミスズが、時計の企画や卸・販売を始めたのは深見東州先生28歳の頃からです。
その後、50歳代になると、ファッションデザイナーとしても一時期活動されています。2001年の社団法人日本デザイン文化協会主催の「NDKファッションデザインコンテスト」で、かぐや姫をモチーフにした作品が、5千点中2位に選ばれ、もう一つの七夕をモチーフにした作品も入選しました。
同年には、「T.Fukami ファッションショー」を東京で初開催。翌2002年に北京で開催された「大型ファッションショー流動する紫禁城」に出演。2006年東京で開催された「中国文化フェスティバル2006」において、中国スーパーモデルファッションショー「流動する紫禁城」の日本側デザイナーとして出展参加しました。
ファッションショーでの作品や小物などの一部は、深見東州先生の芸術作品を集めた「TOSHU 絵かきの店」でも販売されていました。
2016年以降は、株式会社ミスズの時計部門がハイエンドな時計まで取り扱うようになります。また、ジュエリーなどの宝飾品も取り扱うようになります。同時に時計やジュエリーのオリジナルブランドを立ち上げ、さまざまなオリジナル商品のデザインや、細かく監修をされています。
茶人、華道家としてのプロフィール
華道には、3大流派と言われる池坊・草月流・小原流に、龍生派・嵯峨御流・未生流・古流の4つを足した7流派が有名だそうです。深見東州先生は水野峨往氏に師事し、嵯峨御流師範の免状を取得しています。何度か華道をベースにした個展や舞台を開催しました。
茶道では、3大流派の表千家・裏千家・武者小路千家と、それ以外にも多くの流派があると言われています。深見東州先生は、20歳で裏千家茶道を学び、その後35歳で江戸千家新柳派に入門し、江戸千家新柳派師範の免状を取得します。茶碗などの陶芸品をはじめとする道具類なども自ら製作し、茶会も不定期に何度も開催しています。