今回は、ワールドメイト会員が神社参拝するときに、深見東州先生から教えていただいた、功徳がいただける参拝の仕方に関して、書ける範囲で書いてみようと思います。

 

初めから話は脱線しますが、最近の神社に関する話題の一つに、日本会議のことがよく出てきます。極右の団体として、国内外のメディアからも、警戒の目を持って報道されることも多いですが、そこを神社本庁が強力に下支えしているということです。他にもいくつかの新宗教が支えているようですが。
そんな理由から、神社の存在までクローズアップされることが、最近多々あります。それは別に構いませんが、しかし、政治右派勢力との結びつきで神社のイメージを捉えられると、どうも違和感を個人的には感じてしまいます。

神社に関係する人々が右寄りになのはわかりますが、だからと言って、日本の神様のことを正しく理解するのに、右や左というようなイデオロギーは関係ありません。むしろ一般の若い人たちにとっては、日本の神社や神様の本質への理解が、妙な方向に歪められてしまうような気がして、そこを懸念しています。

それよりはパワースポットブームで、神社を訪れる人が増えることの方が、まだ健全で良い気がしますね。別に比較するような対象ではないと思いますが。

 

神社をイデオロギーで捉えてもおかげが来るわけではないので、この話はこれまでにします。

話を戻すと、神様と感応し、おかげが出る神社参拝をするには、感性の参拝をすることが大事になります。ワールドメイトでは、観光の参拝と、感性の参拝の違いについて、深見東州先生が何度もお話をされてきました。

例えば、今のパワースポットブームなどにより、多くの人が神社を訪れるようになってきたと思います。何かあそこにいけば、良いことがあるのかなと思って、ワクワクドキドキしながら行くのまでは良いのかもしれません。しかし、実際に神社に行くと、まずは途中にある温泉や食べ物屋さんに目が止まり、帰りに温泉に入るのもいいかな、あの食べ物屋が美味しそうだなとか、そんなことを思うのではないでしょうか。そして、神社の森や山や湖などがあれば、美しいなーと景色に浸り、建物を見ると、立派な建物だなと思い、来歴を見ると、歴史があるんだなと感心し、そして最後に神社の拝殿の前に来て、ここがパワースポットかとつぶやきながら、手を合わせて願い事をお願いする感じでしょう。そのときには、何か多少の霊験を感じこともあるかもしれません。それで満足して、あとはおみくじを引いたりして、一喜一憂することもあるでしょう。こういうのを観光参拝というようです。

 

 

では、感性による参拝とはどんなものでしょう。

深見東州先生のお話では、神社参拝の手順としては、まず神域に足を踏み入れるということが大事だそうです。次に、神社にいらっしゃる御神霊に会うという気持ちが大事になります。最後に、御社の建物で祝詞をあげることになります。

その3つのポイントのうち、初めの2つで感性の参拝になるかどうかが決定します。最後の御社の前で祝詞や祈願をすることで締めくくりますが、そこに行くまでが勝負になるわけです。

ですので、現実的な建物や景色などを見て、そのついでに参拝する感じなのを観光参拝とするならば、感性による参拝とは、例えば箱根神社に行くのであれば、その道中から箱根という神域に足を踏み入れることに、心の準備をするのが良いでしょう。それは、現実的な思い、つまり俗界的な思いを払い、今から神様のもとに行くんだという気持ちを整える感じでしょう。

それだけではわかりにくいかもしれませんので、別なたとえで行くと、何か人前で習い事のパフォーマンスをするときなど、その少し前から気持ちを整えると思いますが、それに似ている部分があると思います。あまり人と余計な話をせずに、気持ちをその世界に向けて、静かに深めて行くのではないでしょうか。

参拝に向かう時も、やはりそんな感じで、観光気分ではなく、気持ちを向けていく方が良いと思います。そうやって神域というものを噛みしめるようにして、美しい景色を見て感動したら、そこに神様がいらっしゃると思い、踏み入れて行くことが良いと思います。そのように、神様に会えるというロマンを持って行くのが良いでしょう。

 

 

深見東州先生によると、神霊界とは、情緒や情感という理屈ではない感性の世界だと言われます。メルヘンの世界とも言われています。そういう気持ちで神域に足を踏み入れることが大事で、そうすると、自分自身ではわからないかもしれませんが、神域と自分の体がすでに感応しているのではないかと思います。そして、ウキウキとした気持ちで、神様に会えると思うことが大事で、実際には神様のお姿は見えませんから、だからこそ、感性で感応するしかないと思います。

そうやって行くと、本当に感性による出会いがありました。私も何度か経験しました。それは、人によって感じ方は違うかもしれませんが、はっきりとわかります。おそらく、どなたでも、溢れるような情感が湧いて来ると思います。私の場合は、もっと強烈な体験もありますが。

 

逆に、直前まで世間話ばかりして参拝したり、関係ないことばかりに気持ちが囚われていると、そのような感性の参拝には決してなりませんでした。だから、感性の参拝をしたいのであれば、それなりの努力がなければできません。人間は、ほっておくと悲しいかな俗世間的な思いから抜け出すことはできないようです。そのままで参拝しても、形だけの参拝になり、単にお願いを一方的に奏上して終わりになると思います。祈りに心も乗っていません。それではおかげや証も、あまり期待できないでしょう。

 

まとめると、観光参拝とは、現実的なものが主体で、最後に少しだけ見えない世界に思いを馳せる感じなのに対し、感性による参拝とは、最初から感性の世界を主として向かうところが大きく違います。最後の御祈願は現実の建物のところで祈るわけですが、そこに行くまでに、見えない神様の世界に感応する準備ができているわけです。

慣れるまでは難しいかもしれませんが、このようなコツを知っておくと、神社に参拝に行っても全く違う結果になるかもしれません。もちろん寂れきってしまったところや、街中で樹木も池もなく、コンクリートで固められたような神様がいらっしゃらない神社もあるでしょう。そのようなところでは、あまり意味がないかもしれませんが。

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