ワールドメイトは、どんなところなのでしょう?

日本人は無宗教と答える人が多いですが、かといって無神論者というわけではないようです。つまり、神様の存在は信じている、または、なんとなくいるかもしれないと思っているけども、宗教団体には属していないということなのでしょう。

 

日本人の感覚は、宗教を信じることと神の存在を信じることは別なのでしょう。宗教を信じるという人は宗教団体に属することになるのでしょうが、神や仏を信じるという人は、宗教団体に属している人もいるし、属していなくても構わないという人も多いのでしょう。自然そのものが神の存在のように感じる神道の影響かもしれません。

イスラム教やキリスト教のような一神教の国々では、例外もあると思いますが、神を信じるということは、キリスト教やイスラム教を信じていることと、ほとんど同じではないかと思えます。

 

これは私の個人的な感想ですが、日本人というのは、宗教団体の教えに縛られてしまうことを好まないのかなと思います。だから、神様や仏様を信じていても、教えで縛られそうな宗教団体に属したいとは、あまり思わないように思います。とはいっても、一時期は法華経や神道系の新宗教の信者がたくさん増えていた時期もありました。その理由は、高度経済成長の時代の中で、都市に出てくる若者が多かったことが大きな理由のように書かれていました。そういう人たちの不安を除いてあげ、コミュニティに属することによる安心感を与えていたのかもしれません。

 

その後、一部の教団のトラブルや活動が社会問題となり、マスコミの報道によって関係ない宗教団体まで含めて、宗教団体そのもののイメージが怪しいもののように思われてしまったことも、神様に興味があっても宗教に属さなくなった原因かと思います。

私も、そういう思いを多少感じてはいたものの、20数年前にワールドメイトに入会しました。入会の動機は、今思うとささいなことですが、それとは別に、何かここは違うなと思ったことが最終的な決定打になったように思います。そして、その直感は間違っていませんでした。20数年に及ぶワールドメイトでの活動を通じて、ますますその思いは強くなることはあっても、間違いだったと思ったことは一度もありません。

 

では、ワールドメイトは、何が他と違ったのでしょう。はっきり言って、入会する前までは、ワールドメイトのことは99%理解していませんでした。でも入会すると、何か違うというその感覚だけは当たっていたことに気がつきました。それは、初めに書いたような宗教独特の縛りのようなものがないことでした。これは誤解を招きやすい表現かもしれませんが、たとえばキリスト教ならば、こういう時はこう考えなければならない、というものがあります。宗教の歴史の長さにもよりますが、どの宗教にも、ある程度そういうものがあるでしょう。それも広い意味での教義というものかもしれません。

 

ところが、ワールドメイトには、そういう教義のようなものがないのです。教義がないのが良いのか悪いのかはおいといて、言葉を換えて言えば、宗教観念のようなものがなかったのです。ないどころか、知らず知らずのうちに身についていた宗教観念、誤った観念をなくしてくれるようなところでした。これにはびっくりしました。入会して初めてわかったことですが。

 

そして、言葉では説明しづらいのですが、教義がないと言っても教義のようなものはあるのです。矛盾していることを書いてるなと思われそうですが、どこよりもたくさんの教えがあるのもワールドメイトの特徴なのです。

でもそれは、人の心や行いの自由を縛るようなものでは無いのです。むしろ、気がつかないうちに宗教や慣習や環境などからくるものに縛られ、自在性や自由な発想を失っていた心や考え方を解放してくれるものでした。あるいはこういう時には、こう考える方が良いという教えはありますが、その内容が極めて現実に即したツボを押さえた考え方でした。あるいは、現実の生活の向上に役にたつ内容だと思えば良いかと思います。そこが、ここは何か違う気がするという直感の、本当の正体だったのでしょう。

 

極端な例ですが、ユダヤ教には豚肉を食べてはいけないという戒律があります。しかし、それは日本人からすると、とても生活の向上に役に立つとは思えません。悪いとは言いませんが、とても不便だなと思います。

戒律には細かいものがたくさんありますが、これが教えになると、もう少し事情が変わります。教えになると、キリスト教もイスラム教も仏教も、どれも良い教えがたくさんあります。それを聞いて、救われたという人はどれだけいるかわかりません。

 

それで、ワールドメイトにも、たくさんの教えがあり、その内容には、神道的なものだけでなく、仏教的なものや、儒教や老荘思想なども、縦横無尽に取り入れられた教えがあります。それらは物知りの人が、他宗教のいいとこ取りをしているわけではなく、それらの宗教の教えの奥にある大道を理解して、そこからくる普遍的な教えだと言えます。だから聞けば聞くほど、奥深いものを感じるものでもあります。そこに宗教の根源的な教えがあるのかもしれません。

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しかし、それらもワールドメイトの最大の特徴ではありません。ここから先は理屈ではないので、言葉ではうまく書けませんが、一言で言うと「実在の神を掌握し、神を行じ、神人合一の道を極める」ところがワールドメイトの最大の特徴だと思います。

これは言葉で説明するより、結果としてどうなるかだけを話すと、例えば10の能力の人が20の能力を、人によっては100以上の能力が出せるようになるわけです。人間は努力が大切ですが、努力にプラスして他力を活用できると、もっと今の自分よりも素晴らしくなることができるわけです。

 

それが実在の神を掌握し神を行じるというものですが、神人合一の道を極めると、深見東州先生のようになるのだと思います。深見東州先生が、誰が見ても人間離れした万能性を発揮されるのは、そうであるとしか思えません。

私なんかは、自分の能力の2倍3倍の力が出せても、元々のスケールが小さいので大したことはありませんが、優れた人が、その何倍もの能力を発揮できれば、本当に素晴らしい人物になるでしょう。

そうして、さらに社会のために貢献し、有為なる人材となることを目指すところが、ワールドメイトではないかと思います。

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