ワールドメイトで学んだ、本当の学問教養とは

ワールドメイトは、お祈りや信仰に関することだけを学べる所であると、勘違いする人がいてはいけませんので、今日は本当の学問について学べる貴重な所でもあることを書こうと思います。本当の学問というテーマになると、かなり難しい話になりますので、突っ込んだことを書くことは到底できません。ですので、あくまでさわりだけを触れることになると思います。

 

そもそも本当の学問とは何のことでしょうか。これは現在の学校で習う勉強とは少々違うものになります。むしろ今に当てはめるなら、教養といわれる分野に入るか、それに近いものかもしれません。

ワールドメイトでは、深見東州先生の推薦図書ということで、中国の古典を読むことを勧められます。もちろん読む読まないは自由ですが、まさか中国は嫌いだから、論語や老子は絶対読まないという人はいないでしょう。現在の中国からはとても考えられませんが、昔の中国には、とても偉大な思想家や為政者もいたのです。孔子、老子、荘子、もう少し降って周濂渓、王陽明などに関する本を、私も随分と読んできました。

宋学の始祖とも言われる周濂渓、そして程明道、程伊川、張横渠など、この時代の儒教は、道教と仏教、老荘思想などが習合し、日本人にも受け入れやすい学問と言われてます。東京大学の前身となる昌平学校、江戸幕府の時代には、そういう宋学を勉強していたそうです。

 

私も、勧められるままに四書五経などをはじめとする中国の古典、宋学、また、日蓮、親鸞、禅宗関連の本なども、代表的なものは一通り読んできました。聖書やコーラン、西洋哲学は、なまかじり程度にしか読んでません、ほとんどは東洋の思想になります。

 

 

それで、深見東州先生は、そういう人類の大切な古典、今日に至るまで高い評価を受けている宗教、思想書のほとんどを読破するだけでなく、完全に自分のものにされています。そして、そこから縦横無尽に必要な内容を引き出し、相手のレベルに応じて、その問題、課題に対し的確なお話をすることができます。この点に関しては、ここでいくら説明しても理解できるものとは思えませんが、間違いなくその教養レベルにおいて、深見東州先生の右に出る人はいないかと思います。

 

ワールドメイトで、本当の学問が学べるという理由は、そこにあります。そして本当の学問とは自分自身の修養のためにするとのことです。古えの学者は己れの為めにし、今の学者は人の為めにす、と論語にも書かれてます。この己のためにするという意味は、己の修養のためにするという意味です。決して自分のエゴのためにするわけではないのです。人のためにするというのは、人に話をするために学び、それで人に評価されるためにしているという意味です。

その儒教の教えの理想は、修養して聖人に至る道にあります。つまり、修養を積むことで人間は聖人になれるというわけです。さらに、その聖人の理想を、中国伝説の人である、堯・舜・禹に求めています。

その人たちは、尊敬されひじり人と呼ばれるにふさわしい思想や人格を持ち、また、帝としての帝位を持ち、そして為政者のトップという3つを兼ね備えていて、それを聖人と定義したそうです。
時代と国の制度が当時とは違いますので一概に比較できませんが、そんな素晴らしい人は、どう見ても現代の政治家や国のトップには、世界中探しても見当たりませんね。まあ、それを言っても仕方ありませんが、日本人も、そういう本当の学問で修養し、教養を身につけている人は、ほとんどいなくなりました。

 

もちろん、私も、ワールドメイトに入会していなかったら、そんな学問も古典も教養も、身につけるどころか、存在すら気にかけてなかったかもしれません。ですが、ワールドメイトで勧められるままに学ぶんでいくうちに、少しなりとも修養しようという気になりましたので、それだけでも天と地の違いになったと思います。

そういう学問を学ぶと、現代における様々な病気の元とも言われるストレスも軽減し、トラウマからも解放され、もっと素直な自分の中の魂が目覚めて、たくましくこの世の中を生きていけるようになると思います。すでに、極度のストレスからうつ病と診断されたり、引きこもりになってしまった人は、時間がかかるかもしれませんが。

 

本来は、このような、本当の学問と修養というものを大切にする世であれば、どれほど不幸を感じる人、不幸になる人が少なくなることかと思います。いろいろな複雑な問題に遭遇するとき、それを捉える考え方が違ってきますから、自分を不幸にする考え方、捉え方をしなくなるでしょう。そうすると自然と行動も、周りから見て一味も二味も違う行動になっていくと思います。悩みや煩悩との付き合い方もわかってくるし、苦しい時のしのぎ方などもわかってきます。

その結果、誠実に、賢く、力強く生きていける気がします。それが日本の繁栄や、住みよい平和な世につながるかもしれません。逆に、学問が廃れたことで、今は国力そのものも、だんだんと下がっているのかもしれません。

 

ワールドメイトの深見東州先生は、ワールドメイトを広めるというより、そういう本物の学問が廃れていることを憂い、そのような素晴らしい普遍的な学問を世に広めようとされているように思います。

 

「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」6月10日を聞くと、現代のストレスについて、もっと話されています。

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