昨年の安倍元首相暗殺事件以降、旧統一教会と政治の関わり方が大きく報道され、そこから宗教と政治の関わり方について、たくさんのメディアが取り上げてきました。そのことについては功罪があり、良いことだと思って見ていた反面、信教の自由や政教分離については、かなりいい加減なことを言う人たちもいて、宗教への誤解を招き、いらぬ嫌悪感に繋がりかねない発言が気になったりもしました。
その中でなぜか突然、ワールドメイトに飛び火したことがありました。いくつかの怪しい情報が発端で、なんら違法性がないものでした。したがってメディアは一切取り上げませんでしたが、ツイッターなど匿名で自由に発信できるSNS上では、一時話題になりました。その内容については、以下の記事に書いています。
そのような間違った認識による情報は、今は見られなくなりました。しかし誤情報であっても、一度でもネット上に流れて話題になると、収まったあとでも間違ったことを平気で書く人が出てきます。ワールドメイトでも、20年以上前に発生した事実無根のデマや、誤解された情報などを、いまだに書く人がいますね。それは芸能界や政界などの、他の分野でもよくあることですが。
インターネットで、あるいはテレビや雑誌などのメディアで誤った情報が広がると、誤情報だとわかって訂正された後でも、以前の誤った情報しか知らない人たちは必ずいますね。中には知っていてわざと偽情報を書く確信犯もいるようですし。
信教の自由を保障する政教分離の原則
話を戻しますが、政治と宗教に関する一連の報道や、インターネット上での反応を見て、信教の自由や政教分離について改めて考えさせられました。
政教分離とは、国家と宗教の分離の原則ということになっています。それは国によっても違いがありますが、信教の自由を保障するためにも必要なものだと言えます。国家が宗教的中立でなく、特定の宗教や団体だけを優遇したり、特定の宗教や団体に対して圧力を加えたりすれば、信教の自由の保障は失われてしまいます。
日本においては、憲法20条に、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあり、信教の自由が保障されています。
また、21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」とあり、宗教団体を作り、活動する自由も保障されています。
ちなみに19条には、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」があり、信教の自由と思想の自由は、人権宣言の中核とも言われています。
一方、12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあります。
いくら信教の自由が保障されていても、内心だけならまだしも、実際の行動はなんでもして良いわけではありませんからね。当然のことながら、公共の福祉に反する行い、ぶっちゃけ反社会的な行為に相当するものを自由にして良いわけがありません。
政治と宗教の関わりについても、そこは法律に定められたものにのっとり、違法性があると認められたものに対しては、しっかりと対処してほしいと思います。法治国家ですから、例えば反社会性があると思われるものでも、そこはしっかりと法律を制定してから、法の範囲でやらなければ、魔女狩りと同じになってしまいかねませんので、注意は必要だと思っています。
ワールドメイトと癒着する政治家はいるのか?
ワールドメイトに関して言うと、たとえば深見東州先生がある政治家さんと会ったり、いっしょに会議やイベントに参加したり、政治献金をしていたりすると、その政治家と癒着があるかのように、ズブズブの関係などと書く人がいます。一部のジャーナリストにも、怪しげに記事を書く人がいます。
ズブズブというほどの、政教分離の原則に反するほどの便宜を図った事実があるのならまだしも、また、違法となる行為をしているのであれば言われても当然ですが、何ら具体的な違法となる根拠を示さずに、(何も無いから示すことができないと思いますが)よくそこまで書けるなと感心しますけどね。
昔はともかく今の時代、政治家と癒着して政治家を都合よく動かしていると、官僚が外部にリークすることが増えていると聞きました。実際、週刊誌がスクープとしてよく報道しますよね。それは良い傾向だと思います。ジャーナリズムには、権力の監視の役割を果たして欲しいですし、それによって不正なことができなくなっていくでしょうから。
それでワールドメイトの場合ですが、僕が見てきた限りでは、ワールドメイトの行事に政治家が関わったことなど一度もありません。またワールドメイトが、政治家に便宜を図ってもらったという確たる報道も、僕は一度も見たことがありません。宗教に批判的なリベラルな雑誌が、政治家にお金をばら撒くが、何かリクエストをしている様子がない、と書かれたものは知っていますが。
ワールドメイトが超党派で政治家に献金している事実は、広くメディアにも官僚にも知られていると思います。もちろん違法ではありません。しかし宗教団体が政治に献金をすると、まるで違法であるかのようにヒステリックに騒ぐ人もいますね。信教の自由も憲法で保障された人権のことも、ワールドメイトの活動についても、何も知識がないからでしょう。
なぜワールドメイトは政治献金をするのか、その理由については、こちらの記事で詳しく触れましたので、参考にしてください。
そこから一部を抜粋しますが、ワールドメイトが政治家を応援する理由、そしてワールドメイトなりの政教分離に対するスタンスが見えてくると思います。
政治に無関心で良いかと言えば、それも極論に過ぎます。なぜなら、政治とは好き嫌いではなく、興味のあるなしでもないからです。三権分立の立法を司るもので、行政や司法にも影響のあるものです。だから、日本や世界にとって、世の中をより良くするためには、必要不可欠なものです。そのためには、与野党が拮抗することで、健全な政治が行われると私たちは考えます。ですから、特定の党に偏った支援は考えてません。
だからこそ、本当に社会に有為な政治家を、与野党に関係なく、超党派で応援してるのです。それは、健全な政治で日本が良くなり、社会が良くなってほしいと願うからです。また、特に志ある落選議員は、いつか世に出て、大きく社会に貢献してほしいと願い、超党派で応援しています。
ただし、応援と言っても、政治資金規正法に則り、法的に問題のない形での、財政面のみであることは前述の通りです。ワールドメイトが、各政党への献金額が多いと思えるのは、信者を政治活動にかかわらせないための、財政支援のみだからです。「選挙や政治活動に関する動員、投票やボランティアなどは、他の宗教団体にお願いして下さい」と、全ての政治家に明言し、宣言しています。これが、ワールドメイトの、国会議員や地方議員との関わり方であり、関係構築のあり方です
週刊誌「FLASH」へのワールドメイトの回答
最後にワールドメイトが、宗教と政治の関係について、FLASHの取材に回答したものの中から、政教分離について書かれたものがあるので、参考までに掲載しておきたいと思います。
まず、見聞する限りですが、旧統一教会が違法に政治に関わったという話は、聞こえてきません。聞こえてくるのは、旧統一教会と親しくしてた、政治家達の話ばかりです。
もし、これが問題だとすれば、比較にならないほど大きな問題が、日本にはあります。それは、創価学会と公明党との関わりです。創価学会や公明党を敵視したり、敵対はしてませんが、議論として言える事があります。
言わずと知れた、日本最大の宗教法人である創価学会は、選挙のたびに信者と金を動員し、公明党を応援しています。また、自民党と公明党との選挙協力の時は、公明党と自民党の国会議員・地方議員は、ほぼすべてが、創価学会とその信者達の選挙活動の、恩恵に浴しています。
もし、宗教と政治の関わりが、大きく問題であるのなら、誰がどう考えても、こちらの方が遥かに大きな問題です。与党のほぼ全議員が、ある特定の宗教と、信者の選挙協力の恩恵を受けてるのですから。
これは、昨今出てきた問題ではありません。与党になる前の、公明党の結党以来、ずっと議論されてることです。しかし、こうした関わりが、政教分離の憲法違反や、違法とされ、解党を命じられた話は、一度も聞きません。民主党政権の時でさえ、攻撃する議員はあっても、公明党は存在し続け、憲法違反だとして解党を命じられてはいません。それは、一つには憲法で保証された、「表現と結社の自由」があるためです。これも、忘れてはならないポイントです。
創価学会については、旧統一教会とは比べ物にならないぐらい、個人、家庭、仕事、社会における問題があり、長い間叩かれて来たのです。フランスでは、創価学会は、完璧に「カルト」だと認識されて来ました。献金にしても、ケタ違いに大きいのです。入信の勧誘も、「折伏(しゃくぶく)」と言い、極めて苛烈です。
しかし、創価学会が立派なのは、そういう過去の問題視された部分を、1つ1つ改善し、政権与党を支える宗教団体として、社会問題を起こさない努力をしてる所です。その努力の結果、現在ではフランスでの「セクト」リストからは外れています。この努力と改善の足跡は、尊いものと考えます。
ちなみに、我々は創価学会に対しては、敵対するものでも、敵視するものでもありません。それは、後述する「国民皆信仰」の考え方によります。すなわち、800万世帯の人々が、創価学会に居る事で幸せなら、それでいいじゃないか。無信仰の人生より、余程素晴らしいと考えます。他宗教に対しては、いつもこのスタンスでいます。
ところで、政教分離について語るには、まず比較にならないほど大きな、創価学会と公明党、創価学会と自民党との問題を、どう考えるのか。そこを、最初に正面切って論ずべきと考えます。旧統一教会と政治の関わりを、延々と取り上げるテレビを見て、「そんなに言うなら、じゃあ公明党や創価学会はどうなんだ。なぜ同じか、それ以上の頻度で取り上げないんだ。創価学会に、何を忖度してるんだ」と、メディアに対して、その偏向ぶりに不信感を抱きます。同じように思う、視聴者も多いのではと思います。
ちなみに、政教分離については、「津地鎮祭訴訟」や「箕面忠魂碑訴訟」など、最高裁の判決がいくつも出されてます。「自治体が行なった地鎮祭や、忠魂碑建立などは、憲法の政教分離に反するのではないか」、という訴訟でした。
結果として、最高裁は「合憲」と判断しました。これらは、儀礼や社会習慣と見るべきであり、神道や神社信仰を広めたり、強要するものではないと、判断したからです。そして、最高裁の考え方は、「政治と宗教の関わりは、過度なら違憲、過度でなければ合憲」という判断であります。これは、米国最高裁の有名な「Lemon判決」でも同じでした。つまり、政教分離に当たるかどうかは、過度か否かの、「程度の問題」なのです。
つまり、最高裁判決の観点から言えば、旧統一教会と政治の関わりが、仮に「過度であり、問題だ」というのなら、それ以上に結びつく創価学会と公明党、創価学会と自民党は、もっと問題になります。
逆に、創価学会と公明党、創価学会と自民党の問題を、過度とも、問題とも言わなかった人々。あるいは、通り一遍の批判はしても、本気で問題視してこなかった人々。その人々が、テレビに出て、「旧統一教会と政治の関わり」を問題視する姿には、大変大きな違和感を感じます。「あなた達は、最高裁が下した判例や、最高裁が判断する、憲法の政教分離の定義、また問題となる基準は、どこにあるのかも知らず、よくテレビで堂々と発言するなあ」という、違和感です。つまり、「そもそも全く勉強不足なのに、テレビで多くの国民に、歪んだ勝手な解釈を押しつけてる」という、義憤です。
安倍元首相の事件は、確かに大きな衝撃であり、悲劇でした。しかし、そこから、「旧統一教会と政治の関わりが問題だ」と言い出した人やメディアには、「議論に大きな偏りがあり、論理に歪んだ飛躍がある」と言わざるを得ません。本当に、テレビや雑誌のメディアたちは、宗教に関する知識がなさ過ぎです。
下記のサイトから引用しました。
http://hodotokushu.net/kaiin/kiji20220926l.html
また、光文社のFLASHからの取材の別な質問に対するワールドメイトの回答は、以下の記事に分けて掲載していますので、そちらも参考にしてください。