ゴーマニズム宣言という小林よしひろさんの書いた本が、昔一世を風靡しました。「ごーまんかましてよかですか」という決め文句が有名で、漫画によって個性的な社会評論をしたものでした。個人的には面白いなと思いながらも、よく理解できない部分もありました。
ところで内容にはまったく関連性はないのですが、ワールドメイトには、「シャーマニズム宣言」というワールドメイト会員向けの小冊子があります。サブタイトルには「シャーマンかましてよかですか」と書いてあります。
実はこの冊子ですが、深見東州先生が、はじめてワールドメイトの本質の深い部分を活字にされたのではないかなと個人的には思いました。私もこれを読んで、ワールドメイトの役割がよくわかった気がしたからです。いままで長くワールドメイト会員やってきたのに、実はまだわかっていなかったんだなと正直思いました。
その「シャーマニズム宣言」の内容については、ここで詳しく述べるつもりはありません。膨大な濃い内容なので、正直言うと、とても説明できるとは思えないからです。ですが興味がある方のために、後ほどさわりだけふれてみたいと思います。もっと詳しく知りたいという方は、ワールドメイトで直接聞いて、読んでみてください。
目次
ワールドメイトで、なぜか強運になる
100年くらい前のことになりますが、大本という宗教団体に、知る人ぞ知る、出口王仁三郎というものすごいシャーマンがいました。大本は、最盛期には世界中に信者が1000万人いたと言われています。
しかしその大本は、国から2度の弾圧を受けてしまったことでも有名です。悪いことをしたからではなく、その大きな影響力を恐れられて弾圧されたのであろうと言われています。事実、第2次世界大戦後には、無罪が証明されています。
ちなみに無罪となったとき、出口王仁三郎は、損害賠償請求を国に起こすよう周りからすすめられますが、「戦争に負けて、これから国を再建しようという国民の血税から支払われる損害賠償は、もらうことができない」と言って断ったそうです。すごく国のことを思う、太っ腹な人だったようです。
弾圧に関してはこの話も有名です。2度目の弾圧が昭和10年12月8日未明、出雲地方の宍道湖(しんじこ)という場所で、当時の特高警察による王仁三郎の逮捕から始まりました。すると、それから6年後の同日の昭和16年12月8日未明、特別攻撃隊による日本軍のしんじこならぬ、真珠湾攻撃が行われたのです。なんと日にちだけでなく、その場所の名前までもが酷似しています。
さらに符号は続きます。拘束された王仁三郎は太平洋戦争突入後まで、6年以上にわたり拘留されました。日数にすると2435日になりますが、これは日本が敗戦後、連合軍の占領下に置かれていた日数とまったく同じと言われています。つまり、王仁三郎が牢屋に拘束されていた期間とまったく同じ日数だけ、日本も占領下に置かれていたのです。これは大本の教えにある、大本におきたことが日本におき、日本におきたことが世界におきるという型の論理という教義の実例と言われているようです。
ちなみにワールドメイトでは、「ひな型」という言い方をしています。ワールドメイトでは、逆もまた真なりで、積極的に日本や世界の良きひな型をつくる神事を行うこともあります。
いずれにしても当時の大本のように、天啓により、その時代に有形無形のさまざまな影響を与え、世の中を良くしていこうとする宗教を「天啓宗教」というようです。そんなもの初めて聞いたという方も多いかと思います。私もなんとなくそんなものがあるのかなとは感じていましたが、はっきり理解できたのは、「シャーマニズム宣言」を読んでからだと思います。
そして全ての宗教がそうなのではなく、天啓宗教は一握りしかないようです。その中でも「天啓を受けるリーダーが存命中なのがワールドメイト」ということが言えます。ということで、ワールドメイト会員はそれを信じていますが、入会したばかりの人や、ワールドメイト会員じゃない人にとっては、『本当なのか、怪しい』とか、『ワールドメイトだけが特別と思ってるんじゃないの』とか、あるいは『全然意味がわからない』などなど、いろんな意見が出てきそうです。それも、もっともだと思います。たしかに言うだけならだれにでも言えるし、書くだけならなんでも書けますからね。私だって書いているくらいですから。
だから、もし本当にそんなに素晴らしいものなら、そう思えるだけの、なんらかの根拠がないと信じることはできないですよね。そこで、なぜ私がワールドメイトを本物だと思ったのか、深見東州先生を本物だと思ったのか、その根拠となる素晴らしい活動の数々を、このサイトで紹介していきたいと思います。とても一言じゃ言えませんから、じっくりとやるつもりですが。
それから、ワールドメイトのことがわかってくるにつれ、いつのまにか自分自身の運勢が、なぜか強運になっていくことにも気がつきました。その深見東州先生のように強運になる秘訣や、深見東州先生が話されたいろいろなことも、許せる範囲で紹介していこうと思います。しかしまずは、深見東州先生の著作を直接読むことをお勧めしたいところです。
ワールドメイトは新しい時代の宗教?
ところでいきなりですが、皆さんは、今の日本にどれぐらいの数の宗教団体が存在するのかご存知ですか。
そんなこと知った事ではないですよね。私なんかは、3千?いや2千くらいかな、なんて思っていました。それが実は、なんと18万以上の団体があるそうです。(平成26年版/宗教年鑑より)
そしてさらにその信者数を単純に合計すると、日本の人口をはるかに越え、2億人以上の信徒数になるらしいです。ということはどこかの団体が数を多めに報告しているのか、または一人が複数の団体に登録しているのでしょう。いずれにしても日本人は、無宗教のような顔をしているけど、本当は神仏が大好きな国民といえるのかもしれません。
そんな日本では、日蓮宗の流れを汲んだ仏教系団体と、大本から派生して出てきた神道系団体が、戦後日本の2大潮流を作ってきたといわれています。ワールドメイトは深見東州先生が若い頃に大本に入信されていたためか、後者の流れと思われているようです。それはともかくとして、このふたつの流れの元を作ったのは、日蓮上人と出口王仁三郎ということになります。かたや鎌倉時代後期、かたや明治大正、昭和と続く近代ですから、年代はかなり違いますが。
しかし共通する事はいくつかあるようです。それは二人とも宗教家としての実力と布教力において、戦後の日本の新宗教の潮流をつくるほどの傑出したものがあったということです。世界レベルで言えばマホメットやお釈迦様、イエスキリストなどがそうなのでしょうけど、日本で言えばこの二人が、圧倒的な布教力と影響力を持つ宗教家であったと言ってもよいでしょう。
次にシャーマンとしての力量、わかりやすくいうと霊能力や超能力が、二人とも抜群にあったと思われていることです。たとえば日蓮上人は、竜の口の法難と呼ばれていますが、鎌倉幕府から目をつけられて竜の口で処刑されそうになりました。ところが斬首されようとしたとき、江ノ島の方角から何か光るものが飛んできたそうです。すると役人がおそれをなし、結局は処刑を逃れたという話が残っています。
他にも伊豆に流罪になった時も奇跡的に船に助けられます。また国難の予言を行いますが、元が攻めて来たことで見事的中しました。他にも病気治しや雨乞いなど、数々の奇跡をあらわし、その法力は目を見張るものがあったとのことです。
出口王仁三郎も第2次世界大戦のことなどを、細かく戦況にいたるまで何年も前から予言していたことが知られています。また、信者の証言によると、日蓮に負けず劣らずの神通力を持っていたことがうかがえます。そしてもうひとつ、時の国家権力による徹底的な弾圧を受けたことも共通項といえるでしょう。
しかし考えて見ると、お釈迦様やイエスキリストも、今でこそ世界宗教の宗祖ですが、当時は時の権力者や反対勢力から妨害を受けていました。マホメットの場合は状況こそ違いますが、やはり敵対勢力に何度も殺されかかりました。およそ歴史上で偉大な宗教家と言われる人物や宗祖は、先にあげた共通項をだいだい持っているように思えます。
さらにもうひとつ言えば、天啓によって導かれ、法を説き、人々を救い世を救おうとしたのではないかと思われることです。もちろん地域や時代の違いによって、その表現はそれぞれにちがいますが、天啓を受けて教えや救済を行っていたことは間違いないように思います。
そのような宗祖たちの歴史を知ると、現在のワールドメイトにも共通するところがあるように思えます。影響力という点においては、ワールドメイトは現在進行中ですので、もう少し時間が必要かもしれませんが。
ただそれらとは別に、まったく今までにない新しい要素をワールドメイトは持っています。そこを正しく見ないと、なかなかワールドメイトのことも深見東州先生のことも理解できないと思います。そのためには、まず深見東州先生がどのような人かを知り、またワールドメイト以外でどのような活動をされてきたのかを知る必要があります。そこで次にワールドメイト以外での、深見東州先生の活動をいくつか紹介します。
オペラ歌手深見東州としてドミンゴ、カレーラス、ルネ・フレミングと共演
2007年の9月のことですが、三大テノールとして世界的に有名なルチアーノ・パヴァロッティ氏が亡くなりました。パヴァロッティ氏は不世出のテノール歌手といわれ、ニューヨークでの野外コンサートでは50万人を集めるほどの、オペラ、クラッシック界の超スーパースターです。そして「神に祝福された声」といわれるほど、とても素晴らしい歌声の持ち主でした。
亡くなられたときは本国イタリアだけでなく、世界中のファンが悲しみ、追悼の意を表しました。私もファンの一人として、ほんとに残念な思いでその知らせを聞いていました。
実はちょうどその頃、日本では、深見東州先生が会長を務めるNPO法人世界芸術文化振興協会による、オペラ「ファルスタッフ」の公演の直前でした。「ファルスタッフ」は、シェークスピア戯曲を原作に作られた、ヴェルディ最後の作品として、また数少ない喜劇として有名な作品です。
また、この「ファルスタッフ」は難曲中の難曲といわれるオペラとしても有名だそうです。特に主演のファルスタッフ役のバリトンは、世界の有名なバリトン歌手もやりたがらないといわれています。つまりそれほどむずかしいオペラなのです。
そのファルスタッフの役柄に、深見東州先生はチャレンジされました。深見先生は40歳からクラシックの声楽を習い始め、44歳から武蔵野音大マスタークラスで本格的に音楽理論を学ばれ、48歳で、オーストラリアの二大パフォーミングアーツの大学院を卒業されています。
それ以後も世界トップクラスの声楽の先生から指導を受けるなど研鑽を積み、今や日本においての実力はトップクラスといわれています。そのことは2007年当時の、深見東州先生の音楽の師匠である、世界5大バリトンといわれたグレゴリーユーリッチ氏が、すでに太鼓判を押していました。
そして2012年まで、毎年一作の割合で自ら主役を務めるオペラ公演を開催してきました(コンサート形式のものは、他にも多数出演)。
それで2007年の公演の話に戻りますが、オペラ公演としては7作目となる「ファルスタッフ」に、初挑戦をされたのです。
実はその時に大きな難題が生じていました。それは通常ならば数ヶ月の時間をかけてレッスンに取り組むのですが、諸般の事情に忙殺され、レッスンに費やした時間は、主役の深見先生のみ事実上2週間程度しかなかったのです。普通ならば中止か延期と言うところでしょう。
関係スタッフも「間に合わない」と、危機感を募らせていたようです。声楽やオペラの知識がなくとも、それぐらいは私にでもわかりました。ましてや音楽関係者のプロから見れば、考えられない事だったようです。
しかし結果的に公演は大成功となります。全3部中メインの1部と2部は完璧で、3部は歌の部分のみをユーリッチ先生に代わってもらい、演技だけをそのまま続けられました。これまでワールドメイト会員を続けてきた中で、深見東州先生のことでは何度も驚くような場面を見て来ました。また同時に、奇跡的なことも今まで何度も見てきました。
しかし今回は、深見先生があまり練習できなかったことをワールドメイト会員も皆わかっていました。それだけにいかに深見東州先生といえども、今度という今度ばかりは無理だろうと思っていたのです。
私も公演を当日見に行きましたけど、「本当に先生は出てこれるのだろうか」、「歌詞を覚え切れてないのではないか」など、いろいろなことが頭をよぎりました。また、そんな状況でも中止にせずに開催される先生の過酷な思いを、痛いほどに感じました。
そんな公演だっただけに、無事に終了して拍手喝采のウエーブが起きたときは、もう感動を通り越して、言葉を忘れるほどのうれしさを感じました。ただし深見先生としては、パーフェクトのできではなかったということで、翌年もう一度チャレンジすることを決心されます。そして翌年、見事にそのリベンジ公演も大成功となりました。以上は、深見東州先生がどう言う人なのかを知るエピソードの一つとして紹介しました。
それからこのオペラ公演の直前に、過去のベスト歌唱曲を集めた、「深見東州ヒストリカルライブステージvol1~9」が発売されました。本来、深見東州先生はプロのオペラ歌手といっても、それだけが本職ではありません。ですのでオペラに詳しい人でも深見先生のことを知らない人もいますし、実際に聞く機会がない人が多いと思います。
そういう人は、「深見東州ヒストリカルライブステージvol1~9」を聞くと、どれだけ素晴らしい歌を歌われるのか、その一端がわかるかと思います。極上の歌曲を聴きたいという人は、ぜひ購入すると良いと思います。それまでのベストな歌唱を選んだ、集大成でもある粒ぞろいの声楽を聴くことができます。
ここ数年はオペラ公演ではなく、ジャズ、ポップス、ロック、演歌などのコンサートを開催されてきました。どんなジャンルでも歌いこなす、驚異的なボーダレス歌手として人気が高まっています。
もちろんクラシックにおいても、2013年はキリ・テ・カナワ、2014年はルネ・フレミング、2015年はホセ・カレーラスとプラシド・ドミンゴという3大テノールの二人と連続で、2016年はアンジェラ・ゲオルギューと共演するなど、その全てにおいて大好評を博しています。
宝生流能楽師 深見東州として、世界遺産をバックに能を舞う
世界の舞台芸術において、世界の人々が最も評価するのは、現代ではオペラか、またはバレエというところでしょうか。
どちらも西洋舞台芸術の代表的なものです。これに対してヨーロッパのある有名な舞台監督は、日本の能こそが世界最高の舞台芸術である、と評価しているそうです。
オペラやバレエに対して、日本の伝統芸能である能楽。西洋と東洋を代表する舞台芸術と言えますが、この両者はあらゆる意味で対照的といえます。それはオペラやバレエ、特にオペラは表現がドラマチックで、おおげさに表現します。これに対して能は、その逆をいく最小限度の所作でいかに表現するかを追求した、省略の芸術といわれています。そういう意味で、このふたつの舞台芸術は正反対の位置にあります。
オペラはあらゆる表現を歌と動きにとりいれるので、見ている人にはわかりやすいです。それに対して能は、一部の演目を除いて穏やかな動きが多く、また、顔には能面をつけるため、人の顔の表情が見えませんので非常にわかりにくいです。ですので能のほうが、一般的には圧倒的に理解しにくいと思います。それだけに演じる人にとっては、内面の深い繊細な芸術性を要求されると言われています。
深見東州先生によると、能というのは神がかりの芸術であるとのことです。たとえばお能の演目を見ると一目瞭然ですが、神様、鬼、亡霊とか、そのようなキャラクターの登場が多いのに驚きます。披露宴などのおめでたい席で演じられる「高砂」という演目は、住吉明神と言う住吉神社の神様が出てきます。ほかにも「西王母」、「竹生島」など、多くの演目に神さまが出てきます。ストーリーそのものが、この世のものではない世界のお話が多いです。
バックの音楽も、笛、鼓、太鼓の囃子方や地謡によって、なんともいえない幽玄の世界をかもし出します。西洋のオペラのように現実にありそうな恋愛や争いなどのストーリーとはかなり趣が違います。元は猿楽、田楽がその始まりと言われる能を、現代のような能として完成させたのは、室町三代将軍足利義満の時代の観阿弥、世阿弥親子といわれています。世阿弥は「風姿花伝」をあらわしたことでも有名です。
この二人の天才的な芸術家によって完成された能は、今や日本の伝統芸術の代表として国際的にも評価され、その独特の世界は日本古来から伝わる神秘的で神聖なものを感じさせます。先ほど申し上げたように、能というのは、神事そのものと言える神がかりの芸術だからでしょう。
そういう能ですから、物語や謡のなかにも、いくつもの謎が秘められているようです。それはともかくとして、実はこの能においても深見東州先生は、半端じゃない実力をお持ちです。プロの能楽師でも、能は年に3、4番くらいしか舞わないのに、多い年には6番、7番も演じられていました。
ここ数年はされていませんが、また、はじめられるとの噂もあります。そのような深見東州先生ですので、能楽師としても宝生流家元お墨付きの、トップレベルの実力をお持ちです。
しかもオペラやほかの芸術も、いろいろ同時並行でされるなかで年平均4,5番舞われていたわけです。能楽師もオペラ関係者も共演者も驚くわけです。ひとつの芸ごとだけでも一流になるのは困難なのに、短期間でオペラと能を同時に発表し、そのいずれもが一流の域にあるのですから信じられない人だと思われています。
さらにその間にワールドメイトの神祭事や、他の団体や会社の運営、福祉活動、絵や書や京劇などの芸術を、いくつも並行してやりながらですから、誰が聞いても驚くしかありません。そのすべてがハイレベルであり、まったく手抜きもなく徹底してされます。それらを目の当たりにすれば、驚かない人はまずいないと思います。
また、海外での能の公演も行っていて、その国でかなり話題になりメディアにも取り上げられました。しかもニューヨーク国連本部の前で、エジプトのスフィンクスの前で、カンボジアのアンコールワットをバックに、特設舞台を作って公演するなど、考えつかない発想で行われてきました。
世界遺産を前に能を舞うという、スケールの雄大さと実行力にまず驚きます。映像で見ましたけど、この世のものではない空間と言う感じがしました。
また国内でも、東京都が後援する「東京大薪能」をほぽ毎年主宰し、自らも出演されたり、解説をされたりしています。こちらは毎年9月前後に開催されていて、2014年までに17回開催されました。主に都庁広場で開催され、一流の能楽の舞台が無料でみれる唯一の機会ではないかと思います。興味のある人は是非見にいかれるといいと思います。
舞台芸術家深見東州として、マイヤ・プリセツカヤを迎えてのバレエ公演
ロシアのボリショイバレエ団に、マイヤ・プリセツカヤという今世紀最高のバレリーナがいました。残念ながら2015年に89歳でお亡くなりになられましたが、バレエの世界では知らない人はいない、とても美しい踊りを演じるるバレリーナでした。
20数年前、マイヤ・プリセツカヤさんは、深見東州先生の招きで来日され、バレエで共演されています。その時のバレエの舞台を、会場となった志摩の阿児アリーナまで私も見に行きました。
当時すでに70歳に近い年齢のはずですが、どうみても40歳くらいにしか見えませんでした。手足が長く、ほっそりとしたしなやかなスタイルで、本当に美しい方でした。20世紀最高のバレリーナといわれるだけのことはある、と思ったのを覚えています。
その当時の私はバレエにまったく関心がなく、知識もありません。ただ深見東州先生がバレエの公演をされるというので、それで見に行ったのです。ところがこれが、とても素晴らしいものでした。
特にマイヤさんの存在感は別格でした。登場されるだけで会場の空気が変わり、神々しく輝いているように感じました。立っているだけで絵になる、その道の達人にしか手にする事ができないオーラのようなものを感じました。
でも、今回の見せ場はそれだけではありません。深見東州先生の演技が、これまたかっこよかったのです。ラストの深見先生のソロの歌もしびれました。とっても舞台映えされるのに、とにかく驚きましたね。
私もステージを見るまでは、大変失礼なことですが、バレエがこんなにも面白いものとは知りませんでした。すばらしく印象に残るステージでしたので、公演ビデオをあとで購入したほどです。今でもたまに見ています。20年くらい前までは、そのような創作バレエを幾つか発表されていました。
オペラとバレエはもともとヨーロッパでは一緒に演じられていたそうですが、能とバレエをドッキングさせた、史上初の舞台にもチャレンジされました。
深見先生が能楽師、マイヤさんが再びバレリーナで来日され、「羽衣」という演目で、日本の伝統芸術と西洋の芸術を融合した舞台を演じました。見た感じまったく違和感なく、自然に交じり合っていましたね。本当に楽しめました。
と、口でいうのは簡単ですが、なかなか違う芸術を一緒に演ずるなんて、簡単には出来ないことだと思います。そのように新しい文化を生み出そうという意気込みにも感心しました。
京劇役者 深見東州としてデビュー
90年代前半から、深見東州先生は京劇という中国の伝統芸術にも取り組まれます。伝統とはいっても約200年ぐらい前から発展してきたようです。文化大革命のために一時は衰退したものの、その後の開放政策で西洋文化が流入するにともない、中国の伝統歌劇として復活し、不動の地位を築いてきました。
この京劇を、私はワールドメイトに入会して初めて見ました。舞台上の大道具は、きわめて簡単なのが京劇の特徴ですが、その分出演者の派手で凝った衣装とメークには驚きますね。とても長いあごひげ、赤、青、黄色など様々な色で彩られた異様なメイク、奇抜な鎧や髪飾りや袴も、どれをとっても中国独特の世界です。それらは役柄に応じメークと衣装が決まっているそうです。
それにしてもあそこまで派手にやるのは、日本や欧米にもちょっと類を見ないと思います。原色の旗なんかも、背中に何本も立ってますしね。その旗1本で、騎4人を表すそうです。
それで演技は、立ち回りの非常に激しいものが多く、アクロバットのようなめぐるましい動きに圧倒され、思わず興奮します。ちょっとやそっとの鍛錬では、できるものではありません。京劇を見た事ない人は、必見の価値ありです。世の中にはこのような舞台芸術もあるんだなと、きっと驚くことでしょう。
ところで深見東州先生もこの京劇を、王金路という京劇界の泰斗といわれる先生に師事し習われます。1999年の5月のことです。
この王先生は、すでにかなりのお歳のようでしたが、激しい立ち回りを得意にされ、まだ現役として演じられていたそうです。ある時は本番中に足の骨をひねって骨折し、それでも最後までやり遂げ、終わったら骨が飛び出していたというものすごい方です。
そのあと怪我から復活すると、再び激しい立ち回りを平然とやってのけ周りを感動させたという、そんな気骨のある方です。
このような師匠から教えを受けられたからでしょうか、深見東州先生はめきめき実力をつけられたようです。それで2002年8月、中国で開催された第4回国際京昆アマチュアテレビ大コンクールで、深見先生は最高賞の金龍賞受賞25人に選ばれ、その中でも特に優秀な8組に選ばれ、さらにそのトリを務められたそうです。
約1000人が出場していたそうです。その模様は中国全土に放映され、それを中国のマスコミの記事で私も見ました。
「漢津口」という演目の関羽役をされていました。曲芸師のような立ち回りこそありませんが、重厚な威厳のある演技が必要とされるお役です。「いつのまに稽古されたのだろう」と驚きましたけど、なんでもいつの間にか上達されているのが、深見東州先生のすごいところです。その後北京市立北京京劇院二級京劇俳優の認定を受けられています。
カーネギーホール、ロイヤルアルバートホール、武道館でのコンサート
1996年11月18日、深見東州先生の発案により開催された、カーネギーホールにおけるチャリティコンサート「世界を華麗な舞台に」は、当時のアメリカの人気エンターティナーが大勢集まるとても豪華な公演となりました。
チャリティコンサートですから、開催するだけでも意義がありますが、やはり見に来る人の満足度や社会的インパクトを考えるならば、多くの人気エンターティナーが参加するにこしたことはありません。結果的にその方が大きな貢献にもなります。
この時はニューヨークのブロードウェイを代表するトップスターが、20名ほど出演しました。全米一の超売れっ子コメディアンのネイサン・レイン、ミスターブロードウェイの異名を持つトミー・チェーンとマンハッタンリズムキングス、今世紀を代表するミュージカル女優の一人バーバラ・クック、歌手のランディ・グラフ・・・などなど、ブロードウェイミュージカルの主役をやるような人たちばかりが出演していました。
よくこれだけの人が集まったというくらいの豪華なメンバーです。歌も、ダンスも、ジョーク満載の語りも、一流の洗練された味わい深いもので、磨き抜かれた世界最高レベルの演技に、ただ酔いしれました。カーネギーホールまで行って、直接ライブで観たわけではありませんが、この時のステージを後日、日本で見た時は、これが世界一レベルの舞台なんだなと、日本とのレベルの差を強烈に感じました。
カーネギーホールは、音楽芸術に志した人にとって、大変な憧れであり名誉でもある、世界最高の檜舞台と言ってもよいでしょう。そんなステージに、芸術監督を努めた深見東州先生が羽織袴姿で登場します。これはかなり意表をつくものでした。
世界一目と耳の肥えたニューヨークの観客を相手に、しかもカーネギーホールですから、日本人がタキシード姿で舞台に立ってもインパクトはなかったことでしょう。それよりも日本人らしい歴史と優雅さを感じる羽織袴姿で大正解だったと思いました。
その姿で、ミュージカル「南太平洋」から「魅惑の宵」を堂々と歌われました。この歌唱力には、耳が肥えたニューヨーカーもびっくりしたようです。私も震える電流のような感動が背中に走りました。並み居る世界のスター相手に気後れするどころか、堂々と、また、うっとりとさせる歌いっぷりでした。これには現地のマスコミも、大好評だったそうです。
4時間近くにわたる公演のラストでは、作曲家のデビッド・フリードマンが今回のステージのために書いた「世界を華麗な舞台に(ALL THE WORLD’S A STAGE)」を、ランディ・グラフが感動的に歌い上げます。
バックのオーケストラでは、今度は燕尾服に着替えて再登場した深見東州先生が、なんと指揮をとられていました。ラストを飾るにふさわしい感動的な名曲で、ランディグラフの歌も最高でした。指揮をとる深見東州先生も躍動感にあふれていて、だれがみても指揮者としてプロフェッショナルに見えると評判だったようです。
この公演の収益金は、すべてアメリカの二つの団体、恵まれない子供たちと育成団体に寄付されています。
日本人でありながら、欧米のトップアーティストに混じって、一歩も引かずぶつかる根性に、日本人の誇りを感じました。日本はすばらしい国ですけど、世界レベルの欧米人相手に通用する実力を磨いて、海外にチャレンジしていく日本人が、どんどん出てきてほしいと思いました。
プロ野球では野茂の成功以来、イチローはじめ多くの選手が大リーガーに挑みました。そういう海外の最高の舞台で活躍する人々を応援する日本人はとても多いと思います。深見東州先生も、いくつかの分野で世界一を目指して活躍してほしいと思います。
深見東州先生の目的は、地位や名誉やお金などにまったく関係ないところが人と違うところですが。いずれにしても、そういう気概と活躍する日本人からは、いつも勇気をいただきますね。
深見東州先生が芸術を極める理由
深見東州先生は、これまでいろいろな文化芸術活動に取り組まれてきました。そのうちの一部のエピソードを紹介しました。そのどれもがプロといえるほどの、そして一流であると評価されるようになるまでには、そうとうな稽古と真剣な努力が必要なものばかりです。
本来深見東州先生は実業家であり、神道の宗教家でもあるわけです。普通ならば誰もそこまで芸術を極めようとは思わないでしょう。芸道のプロとして食べていかなくても、十分にやっていけるわけですからね。
ワールドメイトと会社の経営だけやっていても、普通の人から見れば十分にすごいことです。それだけやるのでも大変なことなのにと思う人は多いでしょう。趣味程度ならともかく、なぜそこまでいろんなことを徹底してされるのか、理解に苦しむのも当然だと思います。
ましてや舞台芸術となれば費用もかかります。また、一流の人たちと共演するのなら、それに見合うだけのレベルがなければ恥をさらすだけですから、おいそれと趣味でやれるものでは到底ありません。その前に相手が超一流の人物ならば、いくらお金を積んでも決して共演などしてくれるはずがありません。
舞台芸術は素人が見ても上手いか下手かぐらいは、一目瞭然でわかります。一切のごまかしも代替もきかないのが舞台芸術です。実力がないと自然淘汰される厳しい世界です。深見東州先生がなぜそんなに苦労してまで、そのような厳しい舞台芸術の世界を、東西の芸術・文化を極めようとされるのでしょうか。
その世界で食べていくためでもなく、道楽や趣味でもなく、ましてやお金を出して名声や名誉を得るためにしているわけでもないのです。名声や名誉を得るためにお金を出すような人であれば、あれほど過酷な稽古などは絶対にするはずがありません。もっと楽な道を選ぶはずです。
では、深見東州先生がそこまでするのには、いくつかの理由があるといわれています。私は深見東州先生に出会うまで、宗教家なのにプロ並みの音楽活動を行い、博士号をとり、バリバリの経営者として会社を引っ張っていく人がいるなんて、想像したこともありませんでした。宗教と芸術までならともかく、宗教とビジネスが同時にやれるとすら思っていなかったのです。
それがワールドメイトに行くようになって、神様には「真・善・美」の三つの局面があると言う話を聞いて考えが変わりました。これはキリスト教のセオロジーの「神には、真善美の三局面がある」に基づいているそうです。
「真」を求める科学、学術、経営。「善」を求める宗教、教育、福祉、スポーツ。「美」を求める芸術。これらをバランス良く、全て実行する事が神を正しく捉え、取り次ぐことになるという話は初めて聞きました。
今までに聞いたことがない話でしたが、聞いた瞬間になるほどと深く納得できました。宗教だけが神だと思っていた私の観念が、ガラッと外れました。聞けば聞くほど当然のことなのに、なぜ今まで気がつかなかったのだろうとさえ思いました。
ですから深見東州先生は、抜群の宗教家でありながら優れた経営者であり、芸術家としても超一流のレベルになるまで磨き続けておられるわけです。その姿を見て、神様には真善美の三局面があることを、ますます確信することができました。
真善美の三局面があるということは、万能性があると言い換えてもいいでしょう。本当の神様を取り次ぐ人であれば、その人に真善美の三局面が備わり、万能性がなくては嘘だと思いました。
逆もまた真なりで、真善美の三局面が備わり、万能性がある人は、神人合一して本当の神様を正しく取り次げる人だと言えるのかもしれません。現代においては、それが深見東州先生なのだと私は確信しています。
深見東州先生は、そのことを天啓によって確信し、今日まで実行されてきたのだと思います。今までの宗教家にはなかった要素が、今書いてきた中にもいくつかあったかと思います。それが、そのままワールドメイトの特色につながっていると感じています。
このサイトでは、そんな深見東州先生のワールドメイトでの活動や、ワールドメイト以外での活動を幅広く追いかけてきたワールドメイト会員の私が、その見てきたこと、聞いてきたことを書いていきます。それによって、ワールドメイトのことを少しでも知っていただき、また理解の助けになれば嬉しい限りです。
しかし言葉にするのはなかなか難しいことです。ですのでうまく書ける保証も自信もありません。それでも書こうと思うのは、それらのことが、不完全ながらも何か人の役に立つのではないかと思い、書いてみることにしました。簡単に書けるものとは思いませんが、じっくりとおつき合いして下さると嬉しい限りです。