深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
半田晴久カンボジア大学総長による「大学に行く意義」についてのお話

ワールドメイトの深見東州先生は、教育者としての顔もお持ちです。広い意味では、人として大切なものを教える宗教家としての人々への教化育成も含まれると思いますが、ワールドメイトの活動とは関係がない、学校における教育者という面をお持ちなのです。予備校における勉学・受験指導と、主に客員教授として英国・中国・カンボジア・日本の各大学における講義、などがそれになるかと思います。

 

また、教育の振興、福祉教育となってくれば、カンポジア・中国・アルバニアなどの最貧地域に、過去からトータルすると百数十箇所に小学校を建てられたり、また、孤児院を運営され、世界のいくつかの大学を支援されるなどの活動もあります。それらはすべて重要なものばかりですが、今日はカンボジア大学での特別講義の中から、「大学に行く意義」についてお話しされた内容を紹介したいと思います。

 

カンボジア大学は2003年、プノンペン特別区に設立された私立大学です。それまで政治・経済・文化系の総合大学がなかったそうで、カンボジアの時期世代を担うリーダーを育てるために、「カンポジアのハーバード大学」を目指してできたといわれています。カンボジアで唯一国際レベルのMAやph.Dを取得できる大学(当時)でもあるそうです。

 

私立カンボジア大学

 

さて、深見東州先生は「大学を卒業した人には4つの意義がある」と言われていました。 まず一番目は、大学に入ると学術書や専門書を必然的に読むようになることだそうです。難しいが学術書や専門書を多く読むと、人々がお金を払ってでも聞きたいと思うような優れた講演をできるようになると言われました。一般書しか読んでないと、著作にしても浅い内容しか書けませんが、学術書や専門書のような造詣が深くなる本を読むことで、自身の考えを極めて明快に表現できるるようになるし、誰が聞いても理解できる話ができるようになるそうです。だから価値があるし、有料でも聞きに来る人がいるわけですね。

 

深見東州先生の二百数十冊の著作も、のべ数百万部買われていて、多くは深見先生の独自の考え方、人生の体験からくるものですが、幅広い学術書を多数読んで得た、高いレベルの知的理解にもとずいたものです。その深見先生ほどにはなれなくとも、名高い講演者や教授、著者にはなれる可能性もあるでしょうし、少なくとも造詣が深まることで、何かを身につけることができると思います。なので、脳を耕すと思って嫌がらずに読んで欲しいと言われていました。学術書を読まなければ、大学は卒業できませんので、それがまず一番目の意義だということです。

 

 

二番目の意義は、大学の試験問題にあるとのことです。中高と違って、大学では自分の考えを文章でまとめて答える問題が出ます。たとえば「クメールルージュ政権について、その概要を述べよ」とか、大学の試験では具体例や原因や分析、結論で記述する答えを求めてきます。導入部や本題や結論、要旨などで文章を構成し、論理的に説明し書かないといけません。大学の試験は、ほとんどがこのように文章を書く形式です。なのでこのような試験を経験する大学生は、論理的に答えを導き出せるようになるとのことです。また、わかりやすいスピーチをすることができて、趣旨を理解してもらえるようになるそうです。論理的に書けるようになると、論理的に話せるようになるからだそうです。

 

大企業に就職した場合、多くは文書での連絡になるため、自分のアイディアや企画を論理的、明快に文書で書かなければならないので、この力が必要になります。それができなければ、いくら良いアイディアを持っていても決定的な差がついてしまいます。これが、ビジネスマンや政治家に求められる能力なのだそうです。

本当はもっと詳しくお話しされていますが、簡単に紹介しています。以上の2つのことが、大学教育のエッセンスといえる重要な部分だそうです。ワールドメイトの若い人たちにもお話しされていたと思います。私もこの話を聞いて、あらためて専門書を読もうと思いました。

 

 

三番目の意義は、大学には地方から、また都会から、親の職業や家庭環境もいろいろな人が集います。そこではいろいろなことについて話し合えます。結婚とは、職業とは、愛とは、人生とは・・・、4年間の交流の中で、多くの意見交換を行い、語り合えることでしょう。働く意味や社会についても、政治や外交についても話し合うかもしれません。そのなかでお互いの価値観や人生観、考え方を理解していき、他の人の意見を受け入れる能力も培われていくそうです。すなわち周りの人の意見に耳を傾ける聡明さとなって、意固地にならず、他人の道徳観や価値観を、寛容に受け入れることができるようになるわけですね。知識が豊富になることで、他人を理解できるようになるそうです。

 

これは人間として、とても重要な素養ですね。企業においての話し合いなどで、もしも全員が自分の考えが正しいと主張すれば、他の人の考えを理解できず偏ったものとなります。自分の考えが正しいとしても、それが唯一の正解というわけではありません。他の人の考えが正しい場合もあります。なので他人の意見に耳を傾け、価値観を受け入れ理解し吟味できなければいけないわけですね。

相手には相手の正義があり、自分の正義だけが正義ではないと気づかないといけません。自分の意見は正しいが、相手の意見も正しいかもしれないと思えるかどうか。自分と他の意見を賢明に吟味して、今はこれが最上だと結論が出せないといけないわけです。他の意見の良いところとそうでないところを説明できて、すべての意見を包括し、要約し、もっとも適切な結論を出すことが求められます。

そのようにして、皆が賛同できる結論を出せる人こそが社会の真のリーダーであり、多くの社員を管理する企業のリーダーの姿なのだそうです。そうなるための聡明な寛容性を身につけることが、大学に行く三番目の意義なのだそうです。

 

ちなみに、いくら心が寛容でも、それは知的に寛容というわけではないとのことです。考え方が頑固で他人の意見に柔軟でなかったり、道徳観や考えを理解できなかったりする人もいます。本当に知的に寛容な人は聡明な寛容性があるということであり、柔軟な考えで他人の意見を吟味できるそうです。 大学での何気ない友人たちとの会話から、聡明な寛容性が養われていくのだそうです。

話はそれますが、皆が賛同できる結論を出せる人こそが社会の真のリーダーだとすれば、ワールドメイトの深見東州先生は、世界レベルでそれができる本当のリーダーになれる人なのではないかと思いました。

 

 

さて、最後になりました。大学を卒業した人の四番目の意義は、学歴コンプレックスを抱きにくいことだそうです。深見東州先生は、もし大卒でない人が、自分も大卒だったらよかったのにと劣等感やジェラシーを感じるのなら、3つの努力をすれば良いとも言われていました。それは学術書を読むこと、論理的な文章が書けるように努力すること。多様な人との話で脳を耕していくことだそうです。それらを実行するのはもちろん大変なことですが、それをすれば大卒と同じなのですと。少なくとも劣等感を抱くことはなくなるでしょうと言われていました。

 

深見東州先生は現在までに、同志社大学をはじめ世界の大学を5つ卒業されています。修士号をふたつ、博士号をふたつお持ちで、複数の大学の客員教授をされていますが、3つ目、4つ目の博士号を取得するため、今も勉強を続け、難しい学術書を現在も読み続けているそうです。そうすることで脳が活性化し、一度に多くのことができるのだそうです。さまざまな仕事を同時にこなせるようになるそうです。

歌い、執筆し、絵を描き、会社を経営し、政治的外交的な運営を行い、慈善活動の募金を集められ、優秀な若者を教育し、日本や海外で同時に仕事ができるのは、脳を強化しているからだそうです。より高いレベルの脳の強化にチャレンジし続け、脳を強化することができれば、なんでもこなせるようになるそうです。

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