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なぜ、人は超能力に憧れる?ワールドメイトで知った神力と霊力の違い

この数年大ヒットしている映画は、超人的な力を持つヒーロたちが登場する映画が多いですね。

アクアマンがすでに世界中で大ヒットしているそうですが、間も無く日本でも公開されますので楽しみです。その「DCコミックス」系の実写版や「マーベルスタジオ」の映画は私も大好きで、映画館にはなかなか行けませんが、一応全部見ました。ヒーローたちのルーツも様々で、宇宙からきたり、神の子孫であったり、科学の力だったりと様々ですね。X-MENシリーズでは、ミュータントという突然変異した超人たちが登場します。

映画の話をすると、どこまでも話が脱線しそうなので置いときますが、そういう神秘の力に対する憧憬というのは、単なるロマンやストレス発散になる痛快さからくるものもあれば、その能力があると世の中で有利になるとか、優越感に浸れるという気持ちも、どこかにあるのかもしれません。

映画の中のものは、あまりに荒唐無稽の超能力が多いですが、そこまではなくとも、摩訶不思議なことをする霊能者も、世の中に存在することもわかっています。そこで、ワールドメイトでは、そのような霊能力に関して、どのように言われているのかを今日は少し紹介します。

 

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これから紹介することは、深見東州先生の著作「神霊界」などを読むと詳しく書かれています。今回は簡単な紹介だけにとどめます。

霊能力というのは、深見先生によると、霊界に存在する守護霊や龍、御眷属といわれる霊など、また、狂党霊という邪神界からのものもあるそうです。ということは、人を幸せにする良い霊能力もあれば、そうでない危険なものもあるわけです。知識もなく霊界や霊能力に関心を持つと危ないという理由も、そこにあるわけですね。

そもそも良いものか悪いものかは別にして、スプーンを曲げるとか、念写するとか、見世物的にはなるかもしれませんが、実際の人の幸福につながらないような霊能力(超能力)に対しては、ワールドメイト会員で関心を持つ人はいません。

 

それに対し、神力というものが存在します。こちらは霊能力のような霊的な存在を仲介せず、文字通り、神様に直接に働いてもらう力です。そして、当然のことながらその方が次元が高く、また、邪な霊にごまかされることもないそうです。

ただし、次元は高ければ良いかというと、必ずしもそうとばかりは言えず、たとえば病気を改善させるというような場合でしたら、次元がより肉体次元に近い存在に動いてもらう霊力が良いことも多々あるそうです。あるいは神様から御眷属へと命がくだり、そのような霊力を発揮されたりもするそうです。

ということから、ワールドメイトでは霊力も活用しますが、より神力というものを大事に考えています。

そもそも霊力の存在を否定する人も、世の中にはたくさんいると思いますが、トリックや偽物も多いので無理もないことでしょう。そして霊的なものを証明できるほど、科学は追いついていませんので、最後は信じてもらうしかないのですが、先ほども言ったように危険なものもたくさんあるので、下手に関心を持たなくても良いのかもしれません。

 

それで話を戻しますが、ワールドメイトでは先天の修行で神力を会得すると言われています。それに対し、霊能力を求める人は、後天の修行によって得る人が多いそうです。つまり、難行苦行を通して人の後天の能力を磨き、だんだんと神様に近づこうというものです。これによって素晴らしい霊力、神霊界に到達した、役小角や弘法大師のような人もいるそうです。

しかし、それはよほど愛念と真心から発されたものでないと困難のようです。なぜなら途中の段階に待ち構えている邪なる霊がたくさんいるからだそうです。霊能力を得て人々を救済したいという、一見すると善なる気持ちの奥に、今の自分では大したことはできないから霊能力があれば大きなことができるだろうという気持ちが少しでも潜んでいると、そこが引っかかってしまい、邪なるものへと引っ張られおかしな方向へと行ってしまうのでしょう。

そんな細かいところまで問題になるのかと思いますが、今の自分の地位は、常識人として人一倍の努力によって確立させ、霊能力は望まずして至誠によりて備わる、という姿勢が大事になるそうです。つまり、我利我欲を捨て、ひたすら人々や世の中の幸福を願い、人としての努力を惜しまない人じゃなければ、難しいのでしょう。そういう人であれば、神様の方から近づいてきて、神力を与えてくれるようになるそうです。これを先天の修行と呼んでいます。

 
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とても簡単に書いてしまいましたが、詳しくは著作を読んでもらうとして、霊力と神力の違いの意味を正しく理解していた方がよいかと思いました。この意味が本当にわかってくると、正邪の区別もわかるようになり、いろいろな見方も変わってくるのではないかと思いますので。

私自身、まだまだ本当に理解しているとは言えませんが、そうなることを願って、今日は紹介しました。

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